1974年に開業し、雑貨店の草分け的存在として、デザイナーのポール・スミスなど国内外問わず多くのファンを持つ「文化屋雑貨店」。2015年に突如閉店した同店が、1カ月間という期間限定で“復活”した。「第一回文化屋雑貨点」には「あなたが文化屋のバイヤーだったら何を置きたいですか?」をテーマに、108人が出展。その一人である芥川賞作家・滝口悠生氏がこのイベントを通じ、閉店後も異彩を放ち続ける文化屋雑貨店の魅力に迫る。
2016年7月1日から7月31日まで開催されている「第一回文化屋雑貨点」は、2015年1月に40年の歴史に幕を閉じた「文化屋雑貨店」の期間限定復活企画だ。会場である東京・神田のギャラリー&カフェTETOKAの店頭には、「文化屋雑貨店」の看板と文化屋のバッグやTシャツ、アクセサリーなどが置かれている。が、イベントの本編は店内に入ってから。そこには総勢108人(煩悩の数!)の「出展者」が納品したさまざまな商品が所狭しと並んでいる。企画タイトルが雑貨「点」であるのは、誤字ではなく、多くの参加者(=点)が一堂に会するところを表してのことだそう。
コンセプトは、〈あなたが文化屋のバイヤーだったら何を置きたいですか?〉
陳列のごちゃごちゃ感は往年の文化屋雑貨店の店内を彷彿(ほうふつ)とさせるが、並んでいる商品の大半は文化屋が売っていた商品とは大きくかけ離れたものばかり。だからこの企画は文化屋の再現ではないし、単なる復活でもない。
「店がなくなって毎日好きなように過ごせるからうれしくって」
108人の出展者(実際にはもっと多いそう)は、文化屋の元店主で毎日会場に常駐している“太郎さん”こと長谷川義太郎氏と、この企画の立役者でもあるセクシーキラーくんが中心となって声をかけた面々。筆者も出展者のひとりである。
オープン前日、TETOKAに行ってみると、太郎さんは次々届く商品の陳列に忙しく店内を駆け回りながら、興奮した様子で「面白いことになってきましたよ」と言っていた。
僕と太郎さんとの出会いは、2014年に文化出版局から出た「キッチュなモノからすてがたきモノまで 文化屋雑貨店」という書籍のデザインを妻が担当していたのがきっかけだった。太郎さんの理念と、そのもとできわめて独特な形で歩んできた文化屋の歴史は、この本を読むとよくわかる。
ところが、本の刊行後間もなく、まだあちこちで販促イベントなども開かれているというのに、太郎さんは急に文化屋の閉店を決めてしまう。関係者一同「えーっ」となったらしいが、本を読めばそれも納得。40年も店を続けてきたのが例外的と思えるほどに、太郎さんはいつも次に何をするか、今よりもっとおもしろいものがないかを探し、こうと決めたらすぐ行動に移す。
実際、店で売るものは40年のあいだに次々と変わっていったのだという。「最初は荒物をたくさん置いてたし、駄菓子を売ってたときもあったし。それで、人気が出てたくさん売れるようになった商品は、いちばん売れてるときに売るのをやめちゃうんです。だって、売れるってわかってるものを仕入れて売ってもつまんないでしょ」(太郎さん)
十代の頃、同級生の女の子たちが通う店として文化屋の存在はなんとなく知っていたものの、僕自身は結局一度もお店に行くことのないまま文化屋は閉店してしまった。太郎さんとはじめて会ったのも、文化屋閉店からしばらくたったあと、妻が太郎さんたちと餃子を食べるというので、そこについていったときだった。
「店がなくなって毎日好きなように過ごせるからうれしくって。これからどうしようかって考えると楽しみなんですよ。お金? お金なんかないけど、お金がない人同士で集まったほうが面白いんですよ」。餃子を食べながら太郎さんは言うのだった。
大事なのは作品の情報や価値ではなく、「面白いかどうか」だけ
今回の企画の発起人であるセクシーキラーくんは、DJやさまざまなイベントの企画、イラストレーターとしても活動しており、知れば知るほど何を考えているのかよくわからなくなる不思議な人だ。彼もまた、文化屋の存在は知っていたものの、閉店直前までお店に足を運んだことはなかったのだという。1年前から時間をかけて準備を進め、今回の企画を実現した彼が文化屋に興味を持ったのはそもそもどういうきっかけだったのか。
「えーっと」とキラーくんはしばらく考えていたあと、朴訥(ぼくとつ)ないつもの調子で答えてくれた。「もともと(太郎さんの息子さんである)長谷川踏太さんとイベントとかを通じて交流がありまして。で、踏太さんと文化屋雑貨店とのつながりを知って、お父さんの話も聞いてみたいなと。それで太郎さんの本が出たときにナガオカケンメイさん(※1)とのトークイベントがあったのでそれに行ってみたりしました。初めてちゃんとお話ししたのは2015年の清澄白河のバッグ展(※2)のときで、近所だったんで毎日通い詰めて、そこで太郎さんとお話しして、僕がやってる天才算数塾(※3)でやるイベントのゲストに来ていただいたりするようになって……という感じですかね」
ちなみにこのバッグ展にも僕は参加していて(バッグにマジックで太郎さんと会った日の話を書いた)、会場となった清澄白河のギャラリーに様子を見に行ったとき、「セクシーキラーとかいう変なやつが現れたんですよ!」と太郎さんがわくわくした様子で話していたのをよく覚えている。太郎さんもキラーくんも、お互い出会ってすぐにビビッときたというわけだ。
「やっぱり、太郎さんの考え方とか見方が面白くて、分け隔てなくいろんなものに反応するんだけど、基準ははっきりとあって、面白いものはどんなものでも面白いと言いますし、どんなに世間で評価されていてもつまらなかったらはっきりつまらないと言うし」とキラーくんはお茶を飲みながら言う。「お店をやってたのに、商売でものを見るんじゃなくて、いいと思えるかどうかだけで動いてるので、そういうところが面白いと思って、何か一緒にできるんじゃないかなーと」
世評やキャリアなどによらず物事を見ること。そして常に変化と刺激を求めて行動的であること。これはキラーくんのさまざまな活動にも共通していると思う。
世界的に有名なアーティストのライブにも行けば、地元の祭りや盆踊りにも行く。美術館の展示品も、市井の人が趣味でつくった作品も、同じ俎上(そじょう)で眺める。大事なのは作品に付帯する情報や価値ではなく、おもしろいかどうかだけ。シンプルだが、この真っ当さを持つことはとても難しい。
しかし太郎さんもキラーくんも、そんな審美眼を養い、持ち続けて、それを基準に動いてきた人だ。場所や人と関われば、どうしたってさまざまなしがらみや問題、苦労にぶつかることになるが、ふたりはそういった問題を丁寧に解消し、あるいは軽やかにすりかわし、いつも楽しそうにことを進めている。手間を惜しまない。そして権威とは慎重に距離を置く。そんな姿勢に引かれ、また人が集まってくる。
太郎さん曰く、今回のイベントの参加者も、店を閉めてから出会った人のほうが多いのだそう。文化屋雑貨店は、今も刺激を求めて動き続けているのだ。
占い師の「猿酒」から、中華料理店主の油絵まで
文化屋雑貨点には7月1日のオープンから何度か様子を観に行ったが、連日お客さんの波は途切れない様子。店頭にはかき氷ののぼりが立ち、キラーくんがかき氷を売っている。旧式の氷かき器を導入し、秩父から仕入れてきたシロップや多彩なリキュール類をそろえている。こうした、「そこまでする必要ある?」というこだわりを貫くのはいかにもキラーくんの仕事だ。何をすれば商売になるかではなく、“どんなものを売りたいか”から商売が始まる。かき氷、おいしかった。(小学生は200円。大人は500円。アルコール入りは600円~)
店内にはジャンルもカテゴリもばらばらのさまざまな品々が並ぶ。野菜やパンまである。
オープン前から出展者の注目を集めていたのは、占い師のパウロ野中さんが出品した猿酒。巨大なビンのなか、猿の頭が丸ごと酒に浸かっている。4万円也。蛇酒(4万円)、亀酒(2万円)もあり。
店の最奥部の壁には、油絵の風景画が並んでいる。これも売り物。描いたのは会場であるTETOKAの隣にある「中華ひかり」の店主・紺野浩晃さん。紺野さんは趣味で描き続けている油絵を店の壁に飾っていたのだが、それが展示の準備中にこの店を訪れて焼きそばを食べていた太郎さんの目に留まり、あれよあれよと出品することに。
太郎さんは「ひかりさんの絵があることでこの場所がグッと面白くなって、これで今回の企画は絶対成功すると思った」と言う。「見てくださいよ、ほら。最高でしょ。あの油絵を置いたらね、ちょっとアートっぽいものが霞んで、ダサくなっちゃうんですよ」
ちなみに中華ひかり、昼は11時から14時くらいまで、夜はゆったりだいたい19時ごろから営業(紺野さんの気分や調子によって前後する)。昔ながらのラーメンや餃子、焼きそばなどを食べながら、店内の油絵も楽しめる。そして紺野さんの朗らかで和やかな人柄が、とても魅力的。
入り口正面の棚に並ぶアクセサリーは、手作りアクセサリーを制作している二人組「シスター社」によるもの。雑多きわまりない商品群のなかにあって、シスター社のアクセサリーは数少ない文化屋的雰囲気を感じられる商品かもしれない。アクセサリーを手に取り、感動した様子で凝った細部に見入る女性のお客さんも多い。
ヴィンテージのパーツを用い、すべて手作りで制作するという姿勢、そして手ごろな価格帯というのも、文化屋に通じるところ。それもそのはず、シスター社のお姉さんのほう・ハンナさんは、開店間もない時期から文化屋に通っている筋金入りの文化屋ファン。
初めてファイヤー通りのお店に行ったのは、大学生になって最初にひとりで東京を訪れたときだそう。「anan」などの雑誌で文化屋の記事を見て、ずっと憧れていたお店だったという。「小さなころから、他人が持ってるものとは違うのを欲しがる子で、でも他の子と違っていればなんでもいいわけじゃなかった。そのころは文化屋さんみたいなお店も、文化屋が売ってるような商品も、どこにもなかったの」とハンナさんはいう。
色や形。柄や雰囲気。今は多すぎるほどの選択肢のなかから好みのものを選ぶことができるが、以前は日用品や家具を選ぶにしても、洋服やアクセサリーを選ぶにしても、選択肢はもっとずっと限られていた。
「まだ文化屋ができる前に、『あっこれだ』って思ったことがあって、それはね、大阪万博のとき。当時は日本と中国の間に国交がなかったから、中国の展示場も大阪万博のときにはなかったんだけど、どこかのコーナーにちょこっとだけ、中国の日用品なんかが展示されてたの。そこに幾何学模様のホーローの鍋があったのね。それ見たときに、『あ、私が好きなのはこの感じ』って思った覚えがある。雑誌で文化屋のことを知ったときも、同じ感じがしたんだと思う」
なるほど、たしかに文化屋にとって中国はひとつの重要な要素。文化屋が日本に雑貨、雑貨屋という概念をつくったと言われるが、ハンナさんの万博の話は日本における雑貨の源流、そして文化屋の源流を想像させて興味深い。
雑貨とは「モノに新たな価値を発見し、光を当てること」
さて、今回の展示、文化屋雑貨店からの〈あなたが文化屋に置きたいものを〉というリクエストは、簡単なようでいてなかなか難しい。雑貨とはいったい何なのか、ということを考えはじめると、わかるようでわからない。
やはり出展者である大阪のスタンダードブックストアの中川和彦さんと6月にお会いしたとき、「文化屋点、なに出すか決めましたか?」と聞くと、「いやー、まだなんですよ。どうしよう」と中川さんも結構悩んでおられた(中川さんは結局古本を出品。でもただの古本にあらず。本屋さんならではのすばらしいコンセプトの商品だった)。
僕が悩みに悩んで出品したのは、十年ほど前から家や旅先、街なかなどで、カメラ代わりにテレコ(テープレコーダー)を使って趣味で録りためた環境音のカセットテープ。特別な音は入っていない、風や木、電車、鳥の鳴く声などを10分のカセットテープに編集(ダビング)して、短い文章をライナーノーツとして封入した(1本500円)。
自分なりに文化屋や太郎さんの理念、雑貨の価値とは何か、などを考えたとき、それは世間一般では価値を持たないものに、手を加えたり、編集したりすることで、価値を与えることなのではないかと思った。もう少し正確に言えば、忘れられたり、見えなくなっていたりする価値を発見し、再び光を当てる、ということになるか。発見者のアイデアと、手間をかけることで、あるものに新たな意味や価値を与えること。
倉庫の片隅で忘れ去られていた何かが、文化屋という場を通過することで、商品として生まれ変わる。その過程が文化屋の要なのではないか。そこには隠れた魅力を発見する目と、そしてそこに価値を生む手がある。
というわけで、我が家で無用の産物として眠っていた膨大なカセットテープの山を押し入れから引っ張り出し、そこにある僕の個人的な記憶や思い出といえるそれらから短い時間を切り出してみることにした。僕は小説家だが、作品としてではなく雑貨、あくまでレディメイドな製造物として出品したかったので、ライナーノーツにも記名はしていない。今はカセットテープを再生する機器がない家も多いが、そこに誰かが録音した何かの音が入っている、と想像しながら聴かずに飾っておくのでもいい。そこには、そのモノと内容物である音に向けた想像力という価値が生まれる(はず)。
僕の商品はともかく、会場には出展者それぞれの文化屋観、雑貨観が息づいた商品がひしめいている。下は20歳の大学生から、上は71歳の紺野さんまで(その差50歳!)、世代も職業も違う人たちの目と手が作り出す、商売は二の次の多様性。「なんだこれ?」という変なものがたくさんある。
見る人によって、興味を持つ商品はきっと全然違って、見ている側が試されているような気にもなる。雑貨に興味があろうがなかろうが、気になるものを探してみよう。きっと何か面白いと思えるものがあるはずだし、たとえ何も面白くなかったとしても、店を出るときには、あなたはあなたにとっての面白さとは何か、について考え始めているはずだ。
(文/滝口悠生、写真/シバタススム)