――セブン-イレブンは日本のコンビニのパイオニアというだけでなく、常に時代の変化を見極め、新しいサービスを導入してきました。最近では、100円の挽きたてコーヒー「セブンカフェ」が好調。ドーナツも話題ですね。
鈴木:チームマーチャンダイジングの成果です。コーヒーには、食品や機械など全11社が関わっているんです。普通は1社でやったほうがコストが安くなると考えがちですけど、各社の技術が集まっているから100円コーヒーが実現できる。豆だって1社だけから仕入れるのではなく、2社、3社と取引先を増やしたほうが、競争が生まれてコストが下がるでしょう。今年から本格展開に踏み切ったドーナツも、複数の会社がチームになって開発しており、順調なスタートを切りました。
実はコーヒー自体は、40年前からトライしているんです。今のコーヒーマシンは4代目。その間に、何度も試行錯誤しながらやってきました。
――飽くなき質の追求ですね。自社で企画した食品は必ず試食されてきたそうですが、今も続けられていますか?
鈴木:今も続けていますよ。会社でお昼を食べるときは、特別なことがない限り、商品の試食になります。日曜日でも、店で商品を買って家内と一緒に食べてみたりしています。
――90年代には、チャーハンの味に、大変お怒りになったことがあると伺っています。
鈴木:昔のことですが、チャーハンを食べたらおいしくなかったんです。当時の設備では火力が足りないから仕方ないという理由でしたが、それはお客さんを見てませんよね。それで、おいしく作れるまでチャーハンは絶対に販売しちゃいけないと指示。新しい釡を開発するのに、1年かかりました。
赤飯もざるそばも、絶えず味を変えています。ちょっとでもいいから、おいしいものを提供しないと人はすぐに飽きますから。これは口で言うのはラクですけれども、なかなか大変です。
――74年に1号店を開いてから現在に至るまで、コンビニのあり方もずいぶん変わってきたように思います。
鈴木:そうですね。当初は、コンビニのお客さんといったら若い男性ばかりでした。今は、50代以上の方も多いですし、女性客も非常に増えています。コンビニに求められているものも、どんどん変化しています。
日本で独自の方法を開発するしかなかったんです
――そもそもコンビニを開業しようとした動機は何だったのでしょう?
鈴木:当時は大型スーパーが台頭してきて、商店街がダメになるといわれた時代でした。でも私は、大型店だけですべてが間に合うわけがないという意見だった。小型店の課題は生産性でしたから、それを良くすれば、大型店と共存できると思ったんです。ちょうどその頃、視察で訪れた米国で、セブン-イレブンを目にします。ショッピングセンターやスーパーがある場所でも成り立っているのを見て、そこに大きなヒントがあると判断しました。
――仮説を検証するチャンスですね。
鈴木:最初はノウハウだけを手に入れればいいだろうと考えて、提携にこぎ着けた。ところが、運営マニュアルが使い物にならない。向こうのやり方をそのまま日本に持ち込んでもうまくいかないのが目に見えてました。しかし周囲の反対を押し切ってまで提携してますから、やっぱりダメでしたとは言えません。それで日本で独自の方法を開発するしかなかったんですよ。
――その結果、セブン-イレブンが世界で初めて、あるいは日本で初めて行った方式やサービスが多数あります。
鈴木:今日までに、世界初の試みは13項目。日本初は38項目あります。それと業界初が73項目らしいです。別に世界初や業界初を目指してきたわけではありません。そのときどきに突き当たった問題に真正面から取り組み、やるべきことに臆せず挑んできた結果です。
――複数のメーカーの商品を同じトラックで運ぶ共同配送もその一つですね。
鈴木:コンビニで牛乳を売るといっても、当時は1日に1店平均で何十本も売れてるわけじゃないですから。商品は僅かなのに、メーカーごとに違うトラックで運ぶのは、非常に非合理的ですよ。そこで共用のクルマで配送したらどうですか、と提案いたしました。地域ごとに、ここは森永さん、ここは明治さんと分ければいい、と。初めは他社の商品なんて運べないと反対されました。でも無駄を省きたいという思いを伝えて、共同配送を組織できました。今考えてみればどうってことないですけど、当時は破天荒な試みでした。
――ほぼ同時期に、商品を小分けした納品も進めています。
鈴木:70年代は、大きいことがいいことだという時代。ものも大量に運ぶのが合理的とされてました。だけど、小さい店だと1日何個しか売れないこともあるし、商品によっては週に何個も出ないものがある。小分けしなくちゃやっていけないですよ。問屋さんは嫌がりましたけど、我々の考えを実現するためには説得するしかない。
――配送に無駄が出るのは、何としても避けなければいけなかった。
鈴木:だからこそ、1つの地域に集中して店を出す戦略、いわゆる「ドミナント」の形成を重視したんです。店と店との距離感が近くなればデリバリーコストが下がるし、お客さんから見れば、右にも左にも店があるから買い物しやすい。その大義を押し通して、ここまで来ています。いきなり全国に店をばらまいても効率が上がらないので、1店舗ずつ積み重ねてきました。
店舗数が100を超えたときが一つの節目でした
――大きな流通改革に、POS(販売時点情報管理)の導入があります。
鈴木:これも必要に迫られたものですね。店数が増えると、商品の発注も相当な数になります。最初は電話でやりとりをし、それからオートバイを飛ばして伝票を集めるようにした。だけど、こんな方式はすぐに限界が来ますよね。それで通信技術の知識なんか何もありませんでしたが、大手の電機メーカーに相談に行ったんです。
私は単純に、大きな電算機を作っているメーカーなら、小さなものは簡単にできるだろう、と思い込んでいた。ところが小さいものでも難しく、開発にかなりの金がかかるという話になりました。すると当時、日本電気(NEC)の小林宏治会長が、自分たちの技術を上げるためにも必要な挑戦だと、共同開発を引き受けてくださったんです。
それで1台80万から100万円になるという設備も、40万円で作っていただけた。そういうご支援があったから、新しいことへも挑戦してこられたんです。
――POSに欠かせないバーコードの普及は円滑に進みましたか?
鈴木:それぞれの業界にお願いするしかなかったですね。一番抵抗を示したのは、出版界なんです(笑)。
――そうなんですか。それはなぜ?
鈴木:バーコードは裏表紙に入れるんですけど、そこは今でもそうですが、全面広告のページなんです。そこに自社のバーコードを入れるわけにはいかないと、だいぶ言われました。いろいろありますが、目の前の壁を一つずつ破っていくしかなかったですね。
――これまでに壁は無数に存在したわけですよね。諦めずに破ってこられた原動力は何ですか?
鈴木:それはやはり、お客さんの立場に立って考えること。その一点に尽きます。お客さんに受け入れていただければ、どんな開発もコストが合うんですよ。今、セブン-イレブンは全国に1万7000店以上あり、1店当たりの平均日販は67万円ほどです。他チェーンとは10万円以上の開きがあります。それはお客さんが評価してくださっているおかげです。ちょっとでも手を抜けば、ガクッと売り上げが落ちるでしょう。今は商品のライフサイクルが短くなっていますから、極端に言ったら日々、求められるものは変わります。
――その変化に対応したから、業界トップを維持してこられた。
鈴木:一時は、コンビニの時代なんていわれたこともありましたけど、何とか変化に対応してこられました。こう言ってはなんですけど、売り上げが前年同月をずーっと上回っているのは、セブン-イレブンだけです。
――これまでで、大きな転機を一つ挙げるとすれば、何ですか?
鈴木:いつも転機の連続です。ただ、あえて言えば、開業から2年たち、店舗数が100を超えたときは、一つの節目に来たと感じました。私は最初、5店舗くらい出したら自分たちが考えた通りの可能性があるかどうか、多少わかるんじゃないかと思っていたんです。だけど5店舗くらいじゃ何もわからない。10店舗、20店舗と増やしていっても、やっぱりわからない。結局、100店舗になってようやく、「あ、これで何とかやっていけるんじゃないか」と自信が持てたんです。小さなコンビニの店舗ですが、チェーン全体で100を超えるのは、当時としても大変なことでした。だから100店舗開店パーティを開いたんです。そのとき私は初めて感無量になって、皆さんに挨拶しながら涙を流しましたね。今振り返ってもうれしいことで、本当に一つの山を乗り越えられたと実感しました。
実は、私は小売り現場の経験がない“素人”だった。それがいろいろなことに幸いしたのでしょう。
――そうでしたか。次回の後編では、会長の経営哲学や業界の将来について、詳しくお聞きしたいと思います。
(企画・構成/奥井真紀子、写真/大髙和康)