この記事は2017年7月発行『日経おとなのOFF 別冊 100歳まで「金持ち老後」大全』に掲載した記事に一部手を加えたものです。内容は基本的に雑誌掲載当時のものです。

宮津大輔さん
広告代理店 → ベンチャー企業の広報担当 → 買収されてIT企業の人事部 → 美術大学の教授に転身! 40代の「もがき」を通して、新しい仕事を探した宮津大輔さんが「45歳から新しいキャリアの開くコツ」を伝授します
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会社員をしながら、もう一つの仕事の種をまこう。5~6年あれば道は開ける

 「40代後半から50歳半ばにかけては、セカンドキャリアを考えるのにとてもいい時期です」と話す横浜美術大学教授の宮津大輔さん。54歳の今、大好きなアートに関する仕事をしているが、40代は「会社を辞めたくて辞めたくて仕方のない時期」を過ごしていた。

 40歳でIT業界に転職したが、3年後に会社が買収された。当時、広報室長をしていたが、買収後は人事部に異動に。元の会社の同僚たちは次々に辞めていった。「転職活動をしましたが、全然うまくいかなかった。そのとき『自分の市場価値は低いんだ』と分かったんです。今、逃げてはいけないと腹をくくって、会社に居続ける道を選びました」。役職も部下のいない担当課長に降格。会社人生で日の当たる場所に出ることは、もうなさそうだと思っていた。

 一方、趣味のアートの世界では、時々は雑誌にコラムを書いたり、セミナー講師として呼ばれたりしていた。「会社で認められなくても、アートの世界では声を掛けてもらえていた。自分を認めてもらえる場が会社以外にあることは、心のよりどころとなりました」

 セミナー講師の声が掛かったときには、「お客さんに感動して帰ってもらうためには何ができるだろう」といつも考えた。「当時はやりたいから、やっていただけだったけれど、ギャラの発生しない仕事でも、最高のクオリティに仕上げました。結果を出さなくては、次の依頼は来ませんから」。この思いがセカンドキャリアを開いた。やりたいと思ったことは、口に出して伝えた。「人に会うたびに、『本を出版したい』『アート講座の講師がしたい』と言っていました。紹介してもらって会いに行って、ダメ出しされて帰ってくることはしょっちゅうです。だけどめげないこと。だって無名の人間が『講座を持ちたい』と言ったところで、『本当にできるの?』と思われて当然。本の出版も、企画を持ち込み始めて2年かかりました」。

 会社以外の道をつくらなくては、と思い始めて10年弱。53歳で大学教授の職を得て、会社を退職。アートを専業にすることができた。「40代後半以降、会社の中での先が見えてくるものです。部長以上になれるのは一部の人だけ。その現実を受け入れたとき、『これから先、自分は何をしていけばいいんだろう』と真剣に考え始めます。会社にいるなら、どんなふうに自分を生かせるのか。別の道を行くなら、今、何をするべき――。そう考えて毎日を過ごすだけでも、何かが変わってくるはずです」

 興味があることを、まず書き出してみるといい。「人が喜びを感じられる瞬間とは、誰かに必要とされて、役に立てていると感じられたり感謝されたりすることだと思うんです。お金にはならないけれど、自分を生かせそうだと思うものがあるなら、それでもいい。定年延長で収入を得ながら、趣味の分野で自分を生かす道もありです。50歳からの10年間をどう過ごすかで、60歳からの人生に花を咲かせることもできるはずです」。