当記事はnikkei BPnetに連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2011年9月29日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています。

 就活対策についての新聞記事の見出しに「大人の話し方に慣れよう」という言葉があった。若い人たちが社会に出るとき、社会に出たての若い人の最初の壁は、この「大人の話し方」であるとの内容に「なるほど」と納得した。

 記事冒頭には「言葉の選び方や話し方で人の印象は変わるもの」というフレーズがある。まさにその通りだと感じた。

 「社会人になる第一歩は、これまでの仲間内のカジュアルな会話やバイト先のマニュアル言葉一辺倒から、ビジネスシーンで大人たちが一般的に使用している言葉を選び、話し方の作法を会得することでもある」

 つまり、組織の一翼を担う「営業マン」「人事の人」という役割を果たすには、その「役割」にふさわしい言葉遣いが求められるというわけだ。

 例えば「おれ、今晩のサッカー見れないんだよなあ」と言うのは「ら抜き」だが、若者にとってごく普通の言い回しだ。「見れる」同様「食べれる」も、若い人の間では違和感を覚えない人が多い。

市民権は得たが放送上はNGの「ら抜き」

 「見られる」「食べられる」は「尊敬表現」と考え、「可能表現」は「見れる」「食べれる」の「ら抜き」のほうが合理的と考えている人もいる。「今夜の中継サッカーは見られない」と伝統的に正しいとされる「ら入れ」で話すと、むしろ「他人行儀な感じがする」「堅苦しい」と感じる若者がいるかもしれない。

 しかし、ビジネス場面、大人相手の商談では「言葉にうるさいおじさん」が手ぐすね引いて「最近の若い者の口のきき方」に難癖をつけようとしている可能性がある。そんな意地悪な大人ばかりではないが、「ら抜き」をしない若者を、「今どき、きちんとした人だ」と評価してくれる人もいるものだ。

 テレビの街頭インタビューを見ると50代や60代でも「ら抜き」で答える人が結構いるが、テロップでは「ら入れ」の伝統的な表現に修正して放送する場面に気がついた人も多いことだろう。

 「放送上は、ら抜きはやはりNG」ってことか? この辺りのことについては、NHK放送文化研究所 塩田雄大専任研究員の「NHKで『ら抜き』を使わない理由」という文献を引用し、かつてコラムに詳しく書いた。

 さまざまな全国調査によると、いまや全く「ら抜き」を使わないという人の方が少数派。では、放送という公的な場面でも「ら抜き」でOKか?と尋ねると、NOという答えが返ってくる。自分は「ら抜き」を使うけれど放送では使わないことを期待する、という声が非常に多い。

 この言葉は非常に印象的だった。塩田さんは、このようにある立場、あるキャラクターを背負った人間にそれ相応の言葉遣いを期待するメカニズムを「役割語」という言葉で説明してくれた。学生やオフタイムを過ごすサラリーマンという役割なら「ら抜き」もOKだが、ビジネスの交渉相手、という役割の人には「ら抜きをしない人」を求めるものかもしれない。

 「大人の話し方に慣れよう」という就活生向けの記事は、このことを言っているのではないか。「場面や相手によって言葉を的確に選択しましょう」というわけだ。