当記事はnikkei BPnetに連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2011年9月15日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています。

 現在スポーツキャスターや旅番組のレポーターとしておなじみの舞の海さん。「平成の牛若丸」「技のデパート」と言われ、自分の3倍も容積のありそうな小錦、曙など巨漢力士を翻弄し、小兵ながら小結までつとめたことのある舞の海さんの「転職」は入門10年目。勝てば関取(十両)として2000年という節目の年の初場所で相撲がとれる。負ければ無給の幕下だ。「この一番にかけよう!」と思った取り組みに負けた瞬間、引退を決意した。

 31歳。妻も子供もいる。いちばんいいのは親方として相撲の世界に残ることだ。そうすれば年収1000万円以上は保証される。ところがその権利を手にするには当時2億円ともいわれた年寄株を手にしなければならない。タニマチ(スポンサー)を持たない舞の海さんの選択肢は「転職」しかなかった。

 「解説者」としては若すぎるし相撲界で費やした時間が短い。うまい具合にテレビで「野球のベンチレポート」のような役回りで起用されることになった。不慣れな放送現場で、とちったり言葉を失ったりしながらも、懸命に努力し続ける誠実な人柄がスタッフにも視聴者にも好感を持たれ、今の人気につながっている。

はじめは「亡命者」の心境だった

 「最初の4年間ぐらいは、相撲の技術的なことについては語れても、相撲界そのものについては怖くて話すことができなかったですね。たぶん社会主義の国からいきなり資本主義の国に移り住んだ。そう、脱北者みたいな心境かもしれません。何か元の組織について語ると怖い関係者に通報される。そんなおかしなプレッシャーを勝手に感じていたかもしれません」

 こういう「言葉にできない時期」を体験しているだけに、今の舞の海さんは相撲の世界を最も冷静に客観的に、かつ雄弁に語れる元力士のお一人だと思う。

 「何が厄介かといって、相撲界は自分のことが分かっていない。分かりやすいのは力士インタビューです。アナウンサーが勝因を尋ねると『自分の相撲が取れました』。翌日への意気込みを聞いても『自分の相撲を取るだけです』と答える。大半の力士がそうですね。実はこの危機の時期、協会関係者に『今後どうするのか?』と聞くと、多くの人は 判で押したように『自分たちの相撲を取っていくだけです』と答えています。自分たちの相撲ってなに?
 確かに 僕も現役時代にはそう答えていました。しかし実のところ、自分の相撲が、自分たちの相撲が何なのか、明確に理解して答えていたわけではありませんでした。今の力士たちや協会はどうでしょうか?
 僕はこんな妄想をすることがあります。アナウンサーが『自分の相撲って、具体的にどんな相撲ですか?』って食い下がるんですね。言われた力士は不意をつかれ、答えに窮して沈黙する。アナウンサーはにっこりほほえみ『いつまででも待ちますから、自分の相撲の中身を詳細に、これを聞いている人が分かるようにご説明くださいね』と迫るんです。これ面白いことになりますよ」

 このアナウンサーというのはひょっとして、あのハンサムアナかもしれない。2004年のアテネオリンピック男子体操団体。冨田洋之選手が着地を決めたその瞬間の名ぜりふ。「伸身の新月面の描く放物線は、栄光への架け橋だ!」でおなじみの刈谷富士雄アナウンサーのニュース解説を、名古屋場所直後に車のラジオで聞いたときの衝撃を思い出した。

 「名古屋場所は過去最低の観客数。そもそも料金が土日平日で同じなのはおかしい。枡席も昔のままのひどく狭いスペースを改良しようともしない。そこに4人座って、飲んで食べてくつろぐなど体の大きい現代人には無理がある。
 客のことを考えたら、今時あり得ないことだ。そもそもお客様により楽しんでいただく配慮がない。プロ野球でもサッカーでも、会場には巨大画面のプロジェクターがあり遠くのお客様にも細かいところが見える工夫をしているではないか。
 取り組みを臨機応変に変更し、千秋楽結びの一番は最も興味深い取り組みにしろ! そういう細かい顧客ニーズに応えようと声を上げない相撲協会は問題だ」(以上は、梶原が要約)

 刈谷アナの手厳しい声は静まらない。

 「八百長事件のときも世間の声(メディアの騒ぎたて)に流され、精査しないで基準を明確にしないまま処分を行った。事なかれ主義が力士たちのモチベーションを下げた。このままだと、相撲協会は分裂するかもしれない。自分たちの声を相撲ファンにも世間にも分かりやすい言葉で具体的にはっきりと出せ!!」 (梶原要約)

(写真:m.Taira / PIXTA)
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