当記事はnikkei BPnetに連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2011年3月31日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています。

 バイク事故の怪我もようやく快方に向かって、先⽇、久々に⾞の運転ができるようになった。何よりうれしかったのは、これでようやく⼀⼈暮らしの92歳の⽗のところに⾏けることだった。親不孝な私だが、何かあると、やはり親のことが気にかかる。

 震災発⽣直後、テレビでは、東北沿岸部の信じられない悲惨な光景と共に、関東を含む太平洋岸域に⼤津波警報を知らせる映像が流されっぱなしであった。

 実家は茅ヶ崎の海岸から数百メートルの所にある築50年を超える⽊造だ。そもそもあの揺れに耐えられたのか? ⽗は難聴で認知症要介護2。役所の広報⾞の音声も聞き取れないし、聞き取れたとしても事情が理解できない可能性が⼤だ。

 運の悪いことに普段は交代で介護に当っている姉2⼈は、これも珍しいことだがその⽇たまたまそろって東京の某展覧会に出かけていた。昨年前半、胃の⼤⼿術を経験した上の姉が、ようやく遠出ができるまで回復したと久々に張り切っていたのだ。

(写真:Yoyan/PIXTA)
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⼤地震、実家に⼀⼈暮らしの認知症の⽗は…

 ここ数年、姉2⼈が都合の悪いときだけ、私がバイクで「⽗介護補助要員」として駆けつけるのだが、今回は、その2週間前に私がバイク転倒事故。以来、松葉杖⽣活が続き、地震当⽇は⾜を氷嚢(ひょうのう)で冷やしながら上半⾝だけのスーツ姿でテレビの収録に臨んでいた。この⽇の⽗はヘルパーさんが訪問してくれる⼣⽅まで1⼈きりだ。

 前年11⽉に亡くなった妻(私たちの⺟)の仏前に線⾹をあげていて⽕事でも起こしていないか。家具の下敷きになってはいまいか? 津波は⼤丈夫か? 家にも、姉たちにも、ヘルパーさんにも電話がつながらない。

 夜になって上の姉からメールが⼊った。東京駅で⽸詰状態、そのまま翌⽇まで電⾞の開通を待つという。「タクシーを捕まえて我が家まで!」と伝えたがタクシーなど捕まるわけもなく、万⼀乗れても⼤渋滞で道は動かなかったから病⾝の姉にとってはその場にいるのが⼀番だと諦めた。

 下の姉は夫の看護のため、⼀⾜先に展覧会場を後にしたため地震発⽣前の電⾞に乗ることができ、⼤船に到着できていた。そこから横浜⻄部の⾃宅まで延々歩いて帰ったと後で知った。この程度のことはそこいら中で起きていた。

 直接の被災地に⽐べるべくもない些細なことだ。

 結局、翌⽇の午後、⽗の無事が確認できてホッとしたのだが、私がこの⽬で⽗の元気な様⼦を⽬にできたのは、松葉杖とおさらばできたつい先⽇のことだった。

 数週間ぶりに会った⽗は、何事もなかったように、いつも通り⿐歌を歌っていた。勝⼿⼝から⼊った私を⾒つけて「おう、どうした?元気か?」。久々に顔を出したことに驚いているのではない。毎⽇であろうと、ひと⽉ぶりであろうと、私を⾒た第⼀声はいつもこれだ。

梶原:何か変わったことあった?(地震、というキーワードを避ける私なりの配慮)

⽗:布団⼲し終わって、ええ、何だっけなあ。♪何が何だか分っからないのよう、と。

 後半、節をつけて⾔うのもいつも通りだ。