当記事はnikkei BPnetに連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2009年4月2日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています。

 自分の用件を早く話したい、本題に早く入りたい、との焦りから、先輩や上司や顧客など、目上の人の話に「そうですね」「なるほど」と一言答えただけで話を切り替えてしまっている――。あなたにも思い当たるふしがないだろうか?

某局ニュース番組でのしらじらしい会話

 本当に「そうだ」と思ってはいないのに、無意識に、あるいは無感動に「そうですね」で対応していないだろうか?

 「そうですね」という相づち。「そうです。まさにあなたのおっしゃる通りです」のように聞こえれば、言われたほうも気分がいいもの。しかし、機械的、反射的に、単なる場つなぎのように使われたら、どうだろうか。「本当に同意しているのか?」と不安になる人もいることだと思う。そのやり取りを聞いているほうも「しらじらしい会話だなあ」と思ってしまう。

 実はこれと同じようなことが、毎晩のように某局のニュース番組のキャスター間で行われている例を以下に記す。他山の石にしてほしいからだ。

 先日、その番組が伝えた、日本の歌舞伎が海外公演を行い好評を博したというニュース。終演後インタビューに答える、強気で知られる著名演出家が「怖くて眠れなかった。うまくいって、本当に良かった」と、ほっとした表情で話すのを受けて、女性キャスターが一言。

 「わあ、あの○○さんでも、あんなに緊張するんですねえ」と、適切な感情表現で同意を求める。しかし、振られた男性キャスターの反応がまことに残念だ。彼女の表情にきちんと反応しないまま、見事なまでに感情を抜きさった「そですね(そうですね、の“う”を抜くぐらいのあっさり感)」に続けて、どうでもいい解説をひとくさり。

 「そですね。日本の伝統文化と、西洋の伝統文化が、×▽○してほしいものです」

 これではせっかくの感動も台無しだ。

(写真:node/PIXTA)
[画像のクリックで拡大表示]

 最近は、この人の無感動的「そうですね」が、妙に楽しみになってきてしまった。

 「日本、やりました! 決勝戦、楽しみですねえ!!」(女性キャスターは満面の笑み)
 「そですね(と、さらっと無機質に受け流し)。日本と韓国、双方のいいところを出し合った熱戦が期待されます」(こんなふうなコメントを力みかえった調子で口にする)

 これは何も、スポーツや芸能に限らない。政治問題であろうと、国際問題であろうと一貫しているから、立派と言えば立派だ。

 「心配ですねぇ」
 「(事態を憂いている女性キャスターの表情を見ることもなく)そですね。竹島問題。日韓双方、納得のいく形での解決が求められます」

 双方納得のいかない問題だから、長らくもめてるのに、そんなにあっさりまとめるな! と、突っ込みを入れる人、多いのではないかと思うがいかがだろうか?