2020年の東京五輪を控え、大きく変貌しようとしている東京。東京駅エリアなどオフィス街を中心に各所で大規模開発が進行するなか、1960年代から1970年代という高度経済成長期に建築されたビルの魅力が再注目されている。
そんななか、「東京交通会館」「新橋駅前ビル」「パレスサイドビル」などなじみ深いビルディング20棟を紹介した本「シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド」が出版された。
著者の鈴木伸子氏は、雑誌『東京人』(都市出版)の元副編集長。以前から、高度経済成長期に建てられたビルの“シブさ”になんとなく気づいてはいたが、それらをカテゴライズすることができずにいた。しかしそれらも築50年ほどの歴史を持つようになり、年代モノとして価値を持ってきたのではと思うようになったという。
ところで、シブいビルとは何か。「1960~70年代ごろに建てられた、当時ならではのデザインや工法、建材が用いられたビル。随所に人手のかかった職人仕事が施されており、今どきのビルより温かい風合いを持っているのが特徴」(鈴木伸子氏)という。
「東京に関する研究会『Tokiology』(森記念財団主催)に参加したとき、建築史上の価値があいまいな戦後の建築物は有名建築家の作品でも簡単に壊されてしまうことが多いと危機感を抱いている参加者の声を聞き、『東京人』で取り上げていたのも戦前の建物が多く、戦後は対象になっていなかったと気づいた。東京五輪をきっかけにした再開発で解体される恐れのあるビルも多いことから、今出版する価値があるのではないかと考えた」(鈴木氏)
ただし鈴木氏は建築の専門家ではないため、執筆にあたっては「町歩きをしながら、気になるシブいビルを訪ねてみる」というスタンスにした。建物のチョイスに関しては「多くの人に広く知られているビル」「誰もが内部に自由に出入りできるビル」「取材ができそうなビル」に限定して紹介することにした。したがって個人が自由に出入りできないマンションや、オフィス専用ビルは含まれていない(オフィスビルでも公共スペースがあるところは紹介している。また中野ブロードウェイ内のマンションも特別に撮影許可を得て掲載)。
取材を始めたものの、建築後50年以上たっているものが多いため、建設当時の記録があまり残っておらず、詳細を記憶している人も少なくなっていた。ホテルオークラのように、デザインに特化した資料が詳細に残されているビルディングはまれ。社史に当たったり、建設当時から入っているテナントを探して話を聞いたりして情報を集めたが、「非常にすばらしいデザインのモザイク装飾なのに、今となっては作った人の名前が分からないことも多かった」と鈴木氏は無念そうに振り返る。
「10年ほど前にはガラス張りの外装が流行し、そのころに建てられたビルの見た目はどれも同じ印象。でも高度経済成長期に建てられたビルには、それぞれに独特の“味”がある。また1968年に霞が関ビルディングができるまでは31メートルの高さ制限があり、8~9階建てが限界だった。超高層ビルと違い、親近感を感じるのも大きな魅力だ」(鈴木氏)。鈴木氏によると、シブいビルには建築に詳しくない人でもその良さが味わえる、さまざまな要素が詰まっているとのこと。そのポイントを聞いた。
ポイント(1)モザイクタイルに象徴される職人の手仕事
今は中国から低価格な石を大量に仕入れているし、技術の発達で高価な石を極薄にカットして表面にだけ貼りつけることもできる。だが1960年~1970年代には石は高価で、職人の工賃は今よりもはるかに安かった。そのため、モザイクタイルで壁を飾ったり、石材を細かく砕いてモルタルに混ぜた「テラゾー」という人造石で境い目の模様を形作ったりするなど、職人の手仕事を多用した装飾が多く用いられた。
「有楽町ビルなど、民芸調のタイル模様とモダンなデザインの融合がすばらしい。丸の内にある国際ビルのエレベーターホールや新東京ビルの床のモザイクタイルなど、今見てもほれぼれするほど美しいですよね」(鈴木氏)
ポイント(2)階段の美しさに注目
目黒区総合庁舎のエントランスホール付近の流れるようなフォルムのらせん階段は、「階段の魔術師」と呼ばれた村野藤吾の作品として名高い。日本橋高島屋の増築部分の階段も、村野藤吾氏のデザイン。1950年にタイから贈られ、クレーンで屋上に上げられた子象の高子ちゃんが4年後、成長したために上野動物園に移された際、一歩ずつ歩いて下りた階段でもある。
パレスサイドビル(竹橋、1966年竣工)の地下と1階を結ぶ「夢の階段」、ニュー新橋ビル(1971年竣工)烏森口側1階から3階の階段など、味わい深い美しさの階段が多く掲載されている。ふだん、何気なく通り過ぎている階段も多いが、足を止めて味わってみては。
ポイント(3)遊園地のような娯楽性
ビルに遊園地的な楽しみを作っていた。その代表が、銀座にあるソニービル。「花びら構造」と呼ばれた「スキップフロア」や、上り下りすることで音階を奏でる「ドレミ階段(現・メロディステップ)が子供にも大人にも受けた。「私も子供のころ、オーディオ好きの父親に連れていかれ、用もないのに階段を行き来した思い出があります。スキップフロアも、4つのフロアを一周すると一階分上がるという仕組みにワクワクしました。当時は特別な用事がなくても、そのビルに行くこと自体に楽しさがありました」(鈴木氏)。当時、建設されたビルにはシースルーエレベーターなども採用され始め、それも楽しかったという。また回転スカイラウンジも流行し、ニューオータニ(紀尾井町)、東京交通会館のほか、郊外にもいくつかできている。
ポイント(4)味のあるテナントが多い
シブいビルの多くは、オープン当初は大企業がテナントとして入り、高級感あふれる雰囲気を醸し出していた。だが築後50年以上もたつと多くのテナントが入れ替わり、雑多な業態の店が混在して独特の雰囲気を形成している場合が多い。新橋駅前ビルはオープン当初、東京で最新の高級感あふれる場所で、1階と2階には高級すき焼き店「今朝」などが出店していたという。だが時間の経過とともに新橋本来の庶民的な味わいの小さな飲食店が集まるようになり、現在では昭和時代にタイムスリップしたような独特の雰囲気が多くのサラリーマンに愛されている。
紀伊國屋ビルの1階アーケード街を設計したのは、モダニズム建築の巨匠と呼ばれた前川國男氏。同じ場所にあった1947年築の前建物も同氏の設計で、終戦後のこの地の雑多で活気に満ちた雰囲気を愛し、1階と地下の商店が並ぶ回廊は、その街並みをイメージしてデザインしたという。中野ブロードウェイも、味わい深いテナントが多いことで知られている。「古くからのテナントも多く、一時は本当にさびれた雰囲気になっていたのですが、『まんだらけ』がクローズアップされたことで奇跡的に生き返った。テナントによってシブいビルが活性化された珍しいケースですね」(鈴木氏)。
ポイント(5)“シブいビル探しゲーム”を楽しむ
この本で紹介しているシブいビルを続けて見ると、日常、街を歩いていても“これはシブいビルに違いない”という勘が働くようになる。鈴木氏も新宿のデパートで食事をした際、西口の駐車場喚起筒のモザイク模様を発見して「シブい」と直感。近くに行ってあちこちを確認した結果、多くの箇所に共通してそのタイルが張られていることが分かり、調べてみると竣工から50年を経ているタイルだったという。「今は物件情報をネットで調べることができるので、自分のテリトリーでそれらしきビルを見かけたら、住所で築年数を調べることもできる。調べたら1970年代の建築で『あ、本当に渋かった!』という喜びがあるんです。お金もかからないし、SNSで情報交換をして楽しむこともできます」(鈴木氏)。
ちなみに“シブいビル”を見つけるコツは、「最近の建物では見かけない」ものに注目することだそうだ。例えば階段が見せ場となっているデザイン、モザイク模様の装飾、スキップフロア、踏板の間が空洞になっている「ストリップ階段」(現在では危険なため作れないという)などがその代表。特に窓が角丸っぽいデザインの場合、シブいビルであることが多いそうだ。
「現存するシブいビルの多くが、1964年の東京五輪前に建てられたもの。2020年までには当時を上回る規模の開発が進むでしょうから、今ある古いビルの多くがその前後に解体されてしまう可能性が高いのです。シブいビル探しゲームができるのは、もしかしたら東京五輪前の今が最後のチャンスかもしれません。解体するのは簡単ですが、どれももう、今ではもう作ることができないもの。残しておくことで、ビル自体の価値が上がる場合もあります。この本がシブいビルの持つ価値に多くの人が目を向けるきっかけになればうれしい」(鈴木氏)
(文/桑原恵美子)