人工知能(AI)関連の技術の中で、今、もっとも注目されているのが「ディープラーニング」だ。ディープラーニングとは、脳の神経回路にヒントを得た「ニューラルネットワーク」をベースにした機械学習の手法。AIが膨大な画像、音声、テキストなどのデータを分析・学習することで、場面に合わせた対応策を導き出すことが可能になる。その能力は、ある領域においては人間と同等、あるいは「すでに人間を超えた」とも言われている。

ディープラーニングを活用したシステムを作るうえで欠かせないのがGPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット)と開発環境。その二つの有力ベンダーであるNVIDIAを訪問し、TREND EXPO TOKYO 2016に登壇する井崎武士氏に、人工知能の現状と人々の生活にどんな恩恵をもたらすのか聞いた。

井崎武士(いざき・たけし)氏<br>エヌビディア ディープラーニング部 部長
井崎武士(いざき・たけし)氏
エヌビディア ディープラーニング部 部長
1997年東京大学工学部材料学科卒業後、1999年東京大学大学院工学系研究科金属工学専攻修了。1999年日本テキサス・インスツルメンツ株式会社に入社。DVDアプリケーションプロセッサ、携帯電話用カメラ映像、画像信号処理プロセッサ、DSPアプリケーション開発を経て、デジタル製品マーケティング部を統括。2015年エヌビディアに入社し、深層学習(ディープラーニング)のビジネス開発に従事している

「ゲーム以外にもGPUの活躍領域は広がっている」

――エヌビディア(NVIDIA)とは、どんな会社なのでしょうか。

井崎武士氏(以下、井崎): エヌビディアはコンピューターのグラフィックス処理や演算処理の高速化を目的としたプロセッサー「GPU」の開発・販売を手がけています。当初はゲーム分野での活用が中心でしたが、近年はビジネスの現場への導入も盛んです。例えば、医療現場のCTスキャンでは、取得した大量のデータを映像化する際に当社の技術が使われています。

――CPUとGPUの役割の違いは?

井崎: GPUはCPUのアクセラレータとして動作します。かつてはグラフィックス表示する映像をCPUの計算によって作り上げていましたが、現在は専用の半導体であるGPUに処理を任せることで負担を減らしています。というのも、GPUはCPUよりも画像処理が速く行える設計になっており、美しい映像表現を短時間で表示できますし、その性能もかなりのスピードで向上しています。

――エヌビディアではGPUをどのように活用しているのでしょうか。

井崎: GPUが画像処理するだけでなく、計算処理に活用することを目指し、2006年から「CUDA(クーダ)」を提供しています。CUDAは大量のコアを持つGPUで並列コンピューティングを実現する開発環境です。当初は画像処理の分野で力を発揮していましたが、近年は医療、防衛、金融など、さまざまな分野で導入が進んでいます。

――具体的にどのくらいのスピードで普及しているのでしょう。

井崎: 2008年に15万件だったCUDAのマニュアルのダウンロード件数が、2016年には350万件に伸びました。ユーザーが増えるとともに、CUDAの授業を行う大学も増加しています。2008年は60校でしたが、2016年には950校になっています。最近では「CUDAを使えると就職に有利」という状況が生まれているとも聞いています。

「人間はAIに囲碁で勝てないと思います」

――最近は、GPUを使ってディープラーニングを行うことがブームになっていますね。

井崎: ディープラーニングがメディアで取り上げられるようになったのは2012年のことです。そのきっかけは、世界最大級のイメージデータベースを管理する団体が主催する画像認識のコンテストです。コンテストでは出題されたオブジェクトが「何であるか」をコンピューティングにより探索していきます。2010年のエラーレート、つまりオブジェクトを正しく認識できない割合は約28%。このエラーレートの改善はとても難しく、年に1~2%しか上がらないとされてきました。

 ところが2012年のコンテストで、カナダのトロント大学のチームが一気に9%も改善しました。このチームはディープラーニングを活用していました。それからディープラーニングの導入が増え、2014年以降のコンテストはディープラーニング一色という状況です。

――現在のエラーレートはどのくらい?

井崎: 昨年、マイクロソフト・リサーチ・アジア社が3.56%のエラーレートを達成しました。人間のエラーレートは5%程度なので、「人間を超えた」とも言われてますね。

――人間を超えた頭脳が、どのように生かされていくのでしょうか。

井崎: 昨年4月のネイチャー誌に、ディープラーニングを使った創薬の記事が掲載されました。エボラ出血熱の感染力を低下させる薬が開発され、臨床試験が行われているそうです。こうした事例はほかにもありますが、最近、特に目立つのはディープラーニングと強化学習を組み合わせる手法ですね。

――強化学習とは何か、教えてください。

井崎: 強化学習は、行動に対して報酬を与えることで知能を高めていく学習法です。正しい結果に導く行動をとったときはプラスの報酬を与え、逆に悪い結果を招く行動をとった場合にはマイナスの報酬を与えます。この繰り返しにより、人工知能(AI)は正しい結果を出せるように自ら学んでいきます。すでに特定の分野では、人間の頭脳を超える結果を残しています。

――例えば、どのような分野でしょか。

井崎: 今年3月、Google傘下のディープマインド社が開発したAI「AlphaGo(アルファ碁)」と、囲碁の世界チャンピオン、イ・セドル九段が5局を戦う「Google DeepMind Challenge Match」が行われました。結果は、AlphaGoの4勝、イ・セドル九段の1勝でした。囲碁の世界では、AIが人間より優れていると証明されたのです。いずれはそんな時代が来ると考えられていましたが、実際はまだまだ先だと思われていた。1997年にIBMのAIがチェスの大会で人間の世界チャンピオンを破ったことはあったが、探索経路が多く複雑な思考が必要な囲碁では、AIが人間に勝つのは100年先になると言われていました。でも、わずか20年で到達したのです。AIの進化には目を見張るものがあります。

――これから先、囲碁で人間はAIに勝てないのですか?

井崎: 勝つとすると、AIが学習していない奇想天外な手を打つ必要があります。ただ、そうした奇策も一度限りでしょうね。AIがその手を覚えてしまえば、二度と通用しません。今後、AIはさらなる学習の高速化が進みますし、人間が勝つ機会はほとんどなくなってくるでしょう。

――少し寂しい気もしますね(笑)。そのディープラーニングと強化学習は、一般的な技術者も扱えるシステムなのでしょうか。

井崎: ディープラーニングが急速に広まったのは、フレームワークの開発が進んだからです。フレームワークとはシステムを構築するための基盤となるソフトウエアのことで、GPUを詳しく知らない人やCUDAを扱えない人でも簡単にプログラムを構築できます。しかもオープンソース化されたものが多く、入手もしやすい。これから先、ディープラーニングと強化学習は、ますますスピードアップして普及していくでしょう。

――私たち各個人はディープラーニングのどんな恩恵を受けているのですか。

井崎: 身近なところでは、Facebook上の顔自動識別システム。写真をアップしたときに、友人の顔を自動的に識別し、情報が表示される。あの機能にはディープラーニングが用いられています。YouTube上の動画の分類・高解像度化、トヨタ自動車が力を注ぐ自動運転システム、ドローン……。Amazonを利用する人にはリコメンド機能もおなじみでしょう。ユーザーの欲しいものを予測し、提案する。AIに詳しい知識を持たない人も、知らずにディープラーニングの世界へ足を踏み入れているのです。

――ビジネスパーソンには、精度の高い翻訳ソフトの登場を待ち焦がれている人が多いのですが、ディープラーニングによって、開発が可能になるのでは?

井崎: 当然、翻訳の分野にも力が入れられていて、英語から中国語への翻訳についてはかなりレベルが上がっています。マイクロソフトのスカイプトランスレーターなどでは、違和感のない翻訳結果が得られます。

 日本語は扱いが難しい言語です。現時点では残念ながら、ビジネスで使えるレベルには至っていません。でも最近は、従来の翻訳の方法を変えようとする研究も出てきています。東京大学の松尾豊准教授は、言語をいったん画像に置き換え、その画像を別の言語で表すというシステムを提案されています。松尾准教授は、ビジネスレベルで使える翻訳ソフトが完成するのは2025年と予測しているようです。言語の違いは、日本企業の海外進出の大きな障壁になっていますから、個人的にも早く完成してほしいですね。

――ディープラーニングを使って「こういう世界を実現してみたい」という井崎さんの夢を教えてください。

井崎: 人々の暮らしを快適にしてくれるコンシェルジュ的なものがいいですね。自動運転だけでなく、渋滞を避けたルートを選択してくれるアプリケーションや、トイレで用を足すと自動的に排泄物を分析し、病気予防のアドバイスをしてくれるシステム。日本は今後さらに高齢化が進みますから、高齢者に役に立つソフトウエアが生まれてくることを期待しています。

(文/川岸 徹、写真/シバタススム)

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