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『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第40回。

 今から10年以上前のことだ。ある先輩の箴言(しんげん)によって、TVクリエイターとしての姿勢や考え方を大きく改めた。きっかけは、私が何気なく「最近見た○○という番組が面白かったです」と話したことだった。すると突然、先輩から、

 「番組を見て、ただ『面白かった』と言うヤツなんてプロじゃない!」

 と、言下にたしなめられたのだ。普通、番組の感想といえば「面白かった」「面白くなかった」などと言うものだろう。一瞬、何を言おうとしているのか理解できなかったが、続けて先輩は厳しい表情でこう言った。

 「やたらと『番組は、作り手の“思い”が大事だ』なんて言うヤツもニセモノ。思いなんて、あるのが当たり前なんだよ。思いという曖昧な言葉でごまかしている。プロが番組について語るなら印象論じゃなく、しっかりと技術論や構造論など具体的な話を議論すべき」

 一般の人にはピンと来ないかもしれないが、この「(作り手の)思い」という言葉はテレビ業界、特にドキュメンタリー界隈の人間が好んで使うワードだ。例えば、「作り手の作品に込めた思いが伝わった、伝わらない」などと使われたりする。

 しかし、その思いというものが具体的に何なのかは、実はよく分からない。非常に漠然としていて、それ故に使い勝手の良い言葉でもある。

 困ったことに、いい番組が作られる条件として、作り手の思いの強弱が挙げられることもある。まだ新人の頃、番組のロケがうまくいかないとき、「お前の思いが足りないからだ!」などと説教されたことがあった。しかし、そんなことを言われても、決していい番組が作れるようにはならないだろう。

 いかにももっともらしく聞こえる「(作り手の)思い」という言葉は、典型的な精神論に陥る危険性をはらんでいる。先輩の言葉は、そうしたことへの警鐘でもあった。

 そもそも、もし作り手に思いがないとしたら、最初からそんな番組など作らなければいい。思いというつかみどころのないものについて語るより、プロとしてより面白くするための具体的な技術や作品の構造(構成)について議論を交わした方がはるかに建設的なのだ。