『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第42回。

 映像コンテンツの中で、ドキュメンタリーほど先入観が根強いジャンルは他にないのかもしれない。このコラムでは過去数回にわたって、 「ドキュメンタリーはありのままの現実を映している」という“幻想”「密着すれば人間が描ける」という“信仰”について述べてきた。それらと同様に、私が違和感をおぼえているのが「事前に構成台本を書くこと」に対する“拒否反応”だ。

「ドキュメンタリーは事前に構成を練ると台本通りになり、予定調和に陥る」

 こう捉えている業界人は少なくない。撮影前に詳細な構成台本を作ると、そこに書かれている通りに撮影しようとする“ハメ絵”状態に陥り、作り手が目の前で起こる現実としっかり向き合わなくなる、という意見は根強い。「事前に構成台本を書くことは百害あって一利なし」と断言する著名なドキュメンタリストもいる。

 また、「欧米のドキュメンタリーは事前に台本がある」と揶揄(やゆ)する声もよく聞かれる。彼らの作り方は日本と違い、台本通りに撮影するスタイルだと言うのだ。しかし、そうした見立ては本当に正しいのだろうか──。

 確かに、欧米では事前に構成台本を書く手法は珍しくない。むしろ最近のストーリーテリングを重視するドキュメンタリストは、積極的に事前構成を作成している。撮影前に60ページに及ぶ構成台本を記し、『マン・オン・ワイヤー』(2008年・英国)で第81回アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したジェームズ・マーシュ監督は、こう述べている。

「ドキュメンタリーの物語は(制作中に)発見されるべきだと思っている人もいるようですが、そのような人から見ると発見する前に書いてみるというのは手順が逆だということになるでしょうね。(中略)もちろん、作品を作りながら発見されるものに対しても目を開かなければいけません。最初に組んだ構成を変えてしまうような発見も含めてです」(『ドキュメンタリー・ストーリーテリング「クリエイティブ・ノンフィクション」の作り方』シーラ・カーラン・バーナード著/島内哲朗訳/フィルムアート社)

 構成は当然、制作過程の思わぬ発見などによって変化していくものだ。だが、事前に狙いを定めておくことで、その狙いと違った場合に作り手が“差異”を感じ、想像していたのと違って「面白い」と気づくきっかけにもなり得る。

 ドキュメンタリー業界で知らぬ者はいない英国BBCの大物プロデューサー、ニック・フレイザーも、ライターと興味深いやり取りをしているのでご紹介したい。

──初心者の中には、ドキュメンタリーは即興的で自然発生的なので、計画は立てようがないと信じている人がまだいますよね。物語は編集中に「発見」されるのだと信じている人が。(中略)

「編集のはるか以前に、自分が望むものを理解していないとね。なぜその物語を語りたいか、そしてどう語りたいかを知っていないと」(同前)

 つまり、事前に詳細な構成台本を書く理由は、取材で得た情報を整理し、観客を引きつける「物語」となるよう仮説を立て、狙いを定めて戦略を整えるためなのだ。つまり、事前構成はあくまで“準備”や“想定”のためなのである。

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