2018年9月13日に開業した複合商業施設「渋谷ブリッジ」(関連記事 「駅から徒歩10分『渋谷ブリッジ』は人の流れを作れるか」)。同施設は東急東横線渋谷駅~代官山駅間の線路跡を利用した横長の作りで、道路を挟んでA棟とB棟に分かれている。どちらも線路がちょうどカーブする部分に建てられており、湾曲したデザインが特徴的。そのB棟の1~7階にあるのが「MUSTARD HOTEL SHIBUYA(マスタードホテル 渋谷)」だ。
手がけたのは鎌倉のレストラン「GARDEN HOUSE」や代官山のベーカリーカフェ「GARDEN HOUSE CRAFTS」などを運営するTHINK GREEN PRODUCE(シンク グリーン プロデュース。以下、TGP)」。同ホテルはTGP初のホテル業態として開業前から注目をされていた。
建物自体が横長で湾曲しているので、客室もホテルらしからぬ変形スペースが多い。だが、ユニークなのはその形だけではない。同ホテルが目指すのは、「単に『宿泊する場』ではなく、『街を楽しむための場』」(同社広報)。そのため、渋谷という街の魅力や特徴に合わせた仕掛けを用意しているという。いったい、どんなホテルなのだろうか。
壁も床も天井も、ファブリックまで真っ白!
入り口から中に入ると、正面にある大きなマスタード色の看板が目に入る。その脇にフロントがあるが、木材を利用した非常にシンプルな作りで、入り口だけでもすでにユニークな印象を受ける。
だが、“ホテルらしくない”ところはほかにもたくさんあった。その一つがインテリアの配色。ホテルでは汚れが目立つ白を避け、汚れが目立ちにくくて落ち着いた印象のある色を用いるのが一般的。だが、同ホテルの客室は壁も床も天井もファブリックも白一色。徹底的に色をそぎ落とした、“超シンプル”な空間デザインだ。それでも部屋をよく見ると、室内灯やスイッチプレートのデザインなど、細部に凝っているのが面白い。
さらに驚いたのは、どの部屋にもスタック式の簡素な丸椅子があるだけで、デスクもないという設備のシンプルさだ。アメニティーグッズやルームウェアもなく、70室の個室のうちテレビと湯沸かしポットがあるのは5~6階の3部屋のみだ。
筆者の経験上、確かに旅先のホテルでテレビを見ることはめったにない。また、シャンプーなどのアメニティーも使い慣れたものを持参するので、不要と感じる人も多いだろう。限られたスペースを有効活用するため、短期の滞在では必要がないクローゼットや冷蔵庫は設置しないなど、思い切った“断捨離”を行うホテルも増えている(関連記事「派手で型破りなマリオット 部屋着も冷蔵庫もない!」)。だが、それにしても、よくもここまで思い切ってミニマルにできたものだと感心してしまった。
駅徒歩10分も「訪日客にとっては『渋谷から徒歩圏』」
同ホテル支配人の木村陽氏は、「東京を訪れるクリエーターやアーティストなどに無料で部屋を提供する代わりに、 滞在期間中に作品を残してもらったり、展示会やライブを共同で開催したりすることも検討している」と話す。つまり、あの白い空間は描かれる前のキャンバスということらしい。もし仮に全室が異なるアート作品で彩られるとしたら、確かにアート好きにはたまらない、唯一無二のスポットとなるだろう。
「ただ宿泊するだけならビジネスホテルのほうが便利かもしれない。だが、マスタードホテルがターゲットにしているのは訪日観光客の中でも情報感度が高く、カルチャーやアートに興味がある層。『あのホテルに行けば東京のアートやカルチャーの最先端の情報が手に入る』という発信基地にしたい」(木村氏)
ほとんどの部屋にテレビを置いていないのは、自ら進んで情報収集をする傾向が強く、テレビをそれほど必要としていない層をターゲットとしているため。その代わり、ホテル側から「生きた情報」を伝えられるよう、多言語に対応できる外国人スタッフを多くそろえているとのこと。「何でもとりあえず客室に置く」のではなく、本当に必要なものを取捨選択しているということだろう。
気になるのは、同ホテルが渋谷駅からかなり離れているということ。遊歩道が整備されているとはいえ、渋谷駅南側エリアは夜になるとさびしい通りもあり、カートを引いて訪れる宿泊客にとってはハードルが高いのではないだろうか。だがTGP代表取締役の関口正人氏は、そうした不安は感じていないという。「渋谷のホテルのニーズは非常に高まっているが、供給が追い付いていない状態。渋谷ストリームの開業によって、渋谷駅南口はハチ公口ともコンコースでつながり、移動がストレスフリーになった。これから訪れる訪日外国人は、『渋谷から徒歩圏に利便性の高いホテルができた』というイメージでとらえるだろう」(関口氏)。
関口氏はマスタードホテルの宿泊客を月間約6000人と見込んでいる。宿泊客以外も含めると1日に500~1000人が付近にある恵比寿、代官山、渋谷の3駅から同施設を往来すると見ている。「これは私鉄沿線の小さな駅の乗降客に匹敵する人数。この新たな人の流れによって、渋谷駅南側エリアが開けるのは間違いない」(関口氏)。
同ブランドのホテルは、現在さらに2館を計画中。2館目は浅草の雷門から徒歩1分圏内で、128床のホステル。今後も都内を中心に多店舗展開をしていく予定だ。それぞれの地域性や宿泊スタイルによって建物のデザインを変えていく方針だが「街の隠し味でありたいというコンセプトは大事にしていきたい」(木村氏)という。
(文/桑原恵美子)