2018年8月1日、神奈川・箱根に「本との出会い」「本のある暮らし」をテーマにしたブックホテル「箱根本箱」がオープンした。手がけたのは、書籍流通大手の日本出版販売(以下、日販)だ。施設内には日販のブックディレクションブランド「YOURS BOOK STORE」がセレクトした本が約1万2000冊置かれ、自由に読むことができる。また、「これまでのブックホテルは閲覧のみで購入できないことが多かったが、箱根本箱はすべての本が購入可能なことも大きな特徴」(箱根本箱広報)だという。

 同施設は日販が箱根強羅温泉に所有していた保養所「あしかり」を全面リノベーションしたもの。施設全体の監修は、雑誌『自遊人』を発刊し、新潟県南魚沼市のライフスタイル提案型複合施設「里山十帖」を手がける「自遊人」(新潟県南魚沼市)が担当している。

 開業のきっかけは3年前にさかのぼる。保養所を廃止するにあたって日販が自遊人にリノベーションの相談をしたところ、どちらも“本離れ”が引き起こす影響に大きな危機感を抱いていたことが分かった。そこから「暮らすように滞在しながら、本を読む楽しさ、本と向き合う楽しさを存分に味わえる空間を作る」(箱根本箱広報)というコンセプトのもと、プロジェクトがスタートしたという。

「箱根本箱」(神奈川県足柄下郡箱根町強羅1320−491)。地上2階、地下1階。客室は6タイプ18室で、ほかにレストラン&カフェと、大浴場がある。1泊2食の宿泊料金は1万8321円〜(2人1室利用時の1人あたりの料金。サービス料込み、税別)
「箱根本箱」(神奈川県足柄下郡箱根町強羅1320−491)。地上2階、地下1階。客室は6タイプ18室で、ほかにレストラン&カフェと、大浴場がある。1泊2食の宿泊料金は1万8321円〜(2人1室利用時の1人あたりの料金。サービス料込み、税別)

 箱根本箱があるのは、箱根登山鉄道ケーブルカー「中強羅」駅から徒歩4分のところ。「中強羅」は無人駅で、駅から同施設の間は商店が1軒も見当たらない。目につくのは企業の保養所と宿泊施設のみ。箱根の温泉地のなかでもかなりディープなエリアだ。

 ホテルの外観は樹木に覆われていて見えにくいが、シンプルでスタイリッシュなエントランスに期待が高まる。木製の自動ドアが開くと、目のまえにいきなり開放感満点の吹き抜けのブックラウンジがあらわれる。両側の壁には2階まで本棚が連なり、その本の数に圧倒された。

1階のブックラウンジ。「普段の生活で知らなかった本」「日常生活で出合えない本」に出合えることをポイントに、暮らしに彩りを添える「衣」「食」「住」「遊」「休」「知」を中心にセレクトしているという
1階のブックラウンジ。「普段の生活で知らなかった本」「日常生活で出合えない本」に出合えることをポイントに、暮らしに彩りを添える「衣」「食」「住」「遊」「休」「知」を中心にセレクトしているという

廊下や客室内も「本づくめ」

 箱根本箱の窪田美穂支配人によると蔵書のジャンルはだいたい「衣」が10%、「食」25%、「住」20%、「遊」20%、「休」10%。「知」15%。特に幅広く取りそろえているのが「食」関係の本で、手に取りやすい写真集や食エッセイなどが中心。「遊」には文学作品を多数ラインアップしているという。

 本が置いてあるのはラウンジばかりではない。施設内を歩くと、廊下や大浴場の湯上り所など、いたるところに本棚がある。本棚のそばにはその場ですぐ手に取って読めるよう、椅子も置かれている。全18室すべてデザインが異なるという客室にもそれぞれ本棚が置かれ、どの部屋のベッドにも背中を預けて本が読める大きなヘッドレストがついている。テラスには本を読むのにぴったりのハンモックが設置されている部屋もある。まさに“読書仕様”の宿泊施設という印象だ。

テラスを含めて約70平方メートルと最も広い「マウンテンビューコーナースイート」
テラスを含めて約70平方メートルと最も広い「マウンテンビューコーナースイート」
マウンテンビューコーナースイートには畳敷きの書斎もある
マウンテンビューコーナースイートには畳敷きの書斎もある
館内のさまざまなスペースにも本が置かれている。目にとまりやすいように並びも考えているという
館内のさまざまなスペースにも本が置かれている。目にとまりやすいように並びも考えているという

新旧多ジャンルの本をそろえる

 蔵書をひととおり見て、書店で見かけない本が多いことに気がついた。書店では新刊が出るごとに棚を入れ替えるため、どこの書店も似たような品ぞろえになりがち。だが、同施設の本棚は新刊以外の蔵書がかなり多く、ふだんから書店でよくチェックしているジャンルでも初めて見る本が多かった。新刊以外の本も幅広く置いているという意味では図書館とも似ているが、出版されてから年数が経過している本でも新品なのは取次大手の日販が手掛ける施設ならではだろう。思わず手にとってみたくなる気になるタイトルの本が多く、セレクトのうまさを感じた。

高い位置の本棚の本も手にとれるように、はしごが設置されている
高い位置の本棚の本も手にとれるように、はしごが設置されている
特に幅広く取り揃えているのが「食」関係の本。手に取りやすい写真集や食エッセーなどが中心
特に幅広く取り揃えているのが「食」関係の本。手に取りやすい写真集や食エッセーなどが中心
本棚の奥など、施設内各所に集中して本を読むことができるように、こもれる空間がある。
本棚の奥など、施設内各所に集中して本を読むことができるように、こもれる空間がある。
最も部屋数が多いタイプの「マウンテンビューツイン」(37~40平方メートル)は部屋のサイズに合わせて本棚もコンパクト
最も部屋数が多いタイプの「マウンテンビューツイン」(37~40平方メートル)は部屋のサイズに合わせて本棚もコンパクト
背中を預けて本が読めるよう、どの部屋のベッドにも大きなヘッドレストがついている
背中を預けて本が読めるよう、どの部屋のベッドにも大きなヘッドレストがついている
全客室に温泉露天風呂があり、読書用のハンモックが設置されている部屋もある
全客室に温泉露天風呂があり、読書用のハンモックが設置されている部屋もある

著名人がセレクトした本棚にも注目

 ただ好みの本を見つけるだけではなく、「宝探し」のような楽しみ方もできる。施設内には料理研究家の土井善晴氏や美術家の横尾忠則氏など、各界の第一線で活躍する人物37人がセレクトした「あの人の本箱」が、客室を中心としたさまざまな場所にさりげなく設置されているのだ。 

 誰がどの本をセレクトしたのかは、選んだ人物の名が記された栞(しおり)と選書のポイントについて記した冊子でわかる。だが、客室に設置された著名人の本箱の中身を見ることができるのは、その部屋に宿泊した人のみ。そのため、宿泊してもお目当ての著名人の本箱を必ず見られるとは限らない。どうしても知りたければ、リピートして前回とは違う部屋に泊まって探すしかないというわけだ。

「あの人の本箱」には、選んだ人物の名が記された栞と選書のポイントについて記した冊子(本棚の手前に置かれているもの)が用意されている。写真の本棚をセレクトしたのが誰なのかは、実際に宿泊して確かめてほしい。なお、写真の冊子は旧バージョンで現在は新しいものに切り替わっている
「あの人の本箱」には、選んだ人物の名が記された栞と選書のポイントについて記した冊子(本棚の手前に置かれているもの)が用意されている。写真の本棚をセレクトしたのが誰なのかは、実際に宿泊して確かめてほしい。なお、写真の冊子は旧バージョンで現在は新しいものに切り替わっている

10〜15冊まとめ買いする人も多い

 宿泊者の本の購入率は当初の想定よりも高いそうで、「10~15冊ほどまとめ買いをする人が多いことにも驚いている。旅先では普段と違う感情を抱くことが多いので、普段は手にとらない本が読みたくなるのかもしれない」(窪田支配人)という。

 書店が減少していくことに危機感をおぼえ、飲食店や雑貨店などの集客率の高い他業態と融合することで乗り切ろうとする書店も出てきている (関連記事:「有隣堂の新業態 本よりも理容店に期待する理由」)。日常を離れることで気持ちにゆとりが生まれ、本を読みたくなるという人は多いだろう。「本を売るブックホテル」という業態は今後ますます広がるかもしれない。

地下1階の男女別大浴場は、内湯と露天風呂を備えた源泉かけ流し。乳白色の「硫⻩泉」と強羅温泉の源泉から引いた無色透明の「美肌の湯」の2つの泉質が楽しめる
地下1階の男女別大浴場は、内湯と露天風呂を備えた源泉かけ流し。乳白色の「硫⻩泉」と強羅温泉の源泉から引いた無色透明の「美肌の湯」の2つの泉質が楽しめる
施設内のレストラン。箱根本箱をプロデュースした自遊人は運営する全施設で「ローカルガストロミー」をテーマに掲げており、箱根本箱でも箱根という場所の歴史と文化が見える食事を提供するという。調理中のシェフを間近に見ながら食事できるオープンキッチンカウンター(19席)、ほかに個室が3室ある
施設内のレストラン。箱根本箱をプロデュースした自遊人は運営する全施設で「ローカルガストロミー」をテーマに掲げており、箱根本箱でも箱根という場所の歴史と文化が見える食事を提供するという。調理中のシェフを間近に見ながら食事できるオープンキッチンカウンター(19席)、ほかに個室が3室ある
「天城のアマゴを使った前菜」(写真左)と取材当日のメイン「伊豆夏鹿のロース」(写真右)。この日の夕食は前菜2種+パスタ2種+メイン+ドルチェの6皿コースだったが、今後10皿前後に増やす予定。外国人観光客から要望の高いヴィーガン料理やベジタリアン料理にも対応可能だという。

(文/桑原恵美子)

この記事をいいね!する