第三弾は自力で設計

 「カーレース 112」用LSIの開発でカンをつかんだ六楽内らは、第三弾の「ブロック崩し」では、ゲームのアイデアをもとに自力でブレッド・ボードを作りあげ、回路図を三菱電機に持ち込んだ(図2)。

 400個くらいの標準論理ICを使ってプレッド・ボードを作る。ボールを動かすには、まずボールを表示する回路を作り、さらに動かす回路を実現する。六楽内らはこうした作業を楽しみながら進めていった。

 次に完成した回路図を三菱電機に持って行き、LSIのパターン設計に入る。当時はまだCADを使っていなかった。OR回路やインバータといった回路のセル・パターンを一つひとつ方眼紙に書き、それを組み合わせて設計を進めた(図3)。

 「ブロック崩し」は専用LSIを使った家庭用ゲーム機の集大成ともいえる製品だった。当時、任天堂のハードウエア技術者はそのままソフトウエア技術者でもあった。自分でアイデアを出して、回路図を書き、ハードウエアを作る。「ブロック崩し」はそうした製品の典型といえた。

 業務用ゲーム機で人気になったゲームはすべて、専用LSIを使って家庭用に置き換えようと六楽内らは意気込み、さらに開発を続けた。

図2 アイデアから回路図へ
 (a)はゲーム「ブロック崩し」を思いついたときのスケッチ。(b)は得点表示部の回路図。いずれも任天堂の六楽内彰次が描いた(画像クリックで拡大)

図3 LSIのパターンも設計
 任天堂の六楽内彰次は、回路図をLSIに集積するときのセルのパターン図まで描いた。一人で、ゲーム・デザインからLSI設計までをこなしたことになる。こうしてファミコン用 LSIを設計できる技術者が育った(画像クリックで拡大)

マイコン登場とともに消える

 ところが、1979年の業務用インベーダ・ゲーム登場で状況は急変する。マイクロプロセサを搭載したゲーム機の機能は、専用LSIには簡単に集積できなくなってしまった。

 上村は「ブロック崩し」に続くゲーム機向けのLSIを三菱電機で開発していた六楽内らを呼び戻し、専用LSIゲーム機の時代は去ったと告げた。「これを覚えれば、食いはぐれはない」と言われた仕事は、3年あまりで終わってしまった。ただし、六楽内らが半導体製造工程を経験したことが、任天堂の半導体の品質管理技術として今も生きている。

 このときから約3年後、任天堂はファミコン用LSIの開発をリコーに委託する。そこで任天堂の開発スタッフは、専用LSIの開発で半導体技術を教えてくれた技術者と再会することになる。その技術者は八木広満氏。同氏は三菱電機からリコーに移っていた。そしてファミコン用LSI実現の立て役者になるのである。

(文/高野 雅晴)

(※本記事は「日経エレクトロニクス」1994年5月9日号の「ファミコン開発物語」を再掲載したものです。登場人物の肩書きおよび企業名等は、雑誌掲載当時のものとさせていただきます。あらかじめご了承ください)

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