―当時、吉田拓郎さんはすごく人気あったんですね?

みうら すごかったですね。拓郎さんは別格でしたからね。拓郎さんが、ボブ・ディランに影響受けてらっしゃるってことを本で読んだり、インタビューで読んだりしましたんで、それは拓郎さんになるためには当然通過しなきゃなんない道だろうと思って。それで、ディランをファーストアルバムから買い始めたんですよ。リアルタイムでは2枚組の『セルフポートレイト』っていうのが出てましたけど。やっぱり始めからだろうと思って。1枚目(邦題『ボブ・ディラン』)から毎月買っていったんですけど、それはそれはもう辛い“修行”のようで(笑)。本当に辛かったですけど、「好きになる」って決めましたんで…。随分、“修行”重ねました。ちょうどその頃は、ツェッペリンとかディープ・パープルが流行っていた時代でしたからね。みんなが『ツェッペリンII』を聴いてる頃に、こっちはカントリー・ブルースのような1枚目を聴きまして、きついな~って思ったんですけど、もう決めましたんで。毎月のように順を追って買っていったんです。

ディランのデビューアルバム『ボブ・ディラン』(画像クリックで拡大)

―毎月1枚みたいな感じで?

みうら そう。友達が家に来ては、ディランのレコードをかけて「いいねー」なんて言ってたんですけど、自分は全然いいとは思いませんでした。困ったなぁとは思ってたんですけども。4カ月後に、世間的にはフォークロック期って呼ばれてる4枚目の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』ってアルバムにやっとたどり着きました。これはすごいと思って。1曲目の「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」っていうのが入ってるんですけど、これが“ラップ”なんです。「ラップ」というのは後に出てきた音楽ジャンルですが、この曲はもうその頃すでに“ラップ”だったんです、確実に。これはすごい衝撃で。そこからもうぐんぐん好きになっていったんです。


4枚目『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』は1964年に発表された作品。このときすでにディランは、言葉をマシンガンのように発射する曲を歌っていた。これは今考えるとまさしく「ラップ」のようなのだ(画像クリックで拡大)

―普通の歌じゃないな、みたいな感じですかね?

みうら とにかくぶっ飛びましたね、あれには。すごいのはディランの声ですよ。ダイレクトに詩は伝わってこないし、分からなかったですけども声がやっぱり抜群にいいなって思いました。

―なるほど

みうら 次のアルバムの『追憶のハイウェイ61』に「ライク・ア・ローリングストーン」が入ってましたけども、よく聴くと演奏が途中でバラけたりするじゃないですか? よれたと思ったら、また元に戻ったりするみたいな。まだそのころ日本では、ロックにも「うまい」「下手」っていうのがあって。あの人の演奏はうまいとか、あのギタープレイは良いとかっていうことでロックって言ってた時代に、あのサウンド聴いたときにもう何でもありなんだっていうのがロックだと思いました。で、今まで、ディランに付けられていた「フォークの神様」っていうイメージが間違っているんだと思ったんです。「ディランがロックだ」って思ったんです。何年か前に、ソニー・ミュージックと組んで「ディランがロック・キャンペーン」っていうのをやりましたが、そのきっかけですね。