ランボーやガスリーといった役名はディランに影響をあたえた人物から取られており、フォークからロックへの転身、コンサートの最中にファンから浴びせられる“裏切り者!”という罵声、再生派キリスト教への傾倒、バイク事故、離婚などの逸話はディランの人生に実際に起きたことばかりだ。また、全編にわたって彼の多くの名曲をカバー・バージョンでフィーチャー。そういう点では、確かにディランの熱心なファンをニヤリとさせるだろう。

出演者も豪華で、クリスチャン・ベール、リチャード・ギア、ケイト・ブランシェットに加え、先日この世を去ったヒース・レジャーも出演している
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 しかしそれ以上に注目したいのは、変わり続けることを恐れなかったディランの音楽性を連想させる、ひとつの場所に落ち着かない6人のキャラクターのドラマ。メディアが貼り付けるレッテルやファンが抱くイメージ、富と名声、体制やコミュニティ、家庭など、自分を束縛するあらゆるものから、彼らは逃れようとする。その果ては必ずしもハッピーエンドではない。孤独に苛(さいな)まれ、自滅する可能性もあれば、ならず者のレッテルを貼られることもある。どこまでも自由を追い求めようとするならば、どんな重荷を引き受けねばならないのか? そんな問いを投げかけてくることを踏まえると、“ディランの映画”という枠を超えた、自由についての寓話が見えてくるはずだ。そういう意味では、ディランの未発表曲からとられた『アイム・ノット・ゼア』というタイトルは、なんとも象徴的。“私はそこにいない”……ディランの映画には違いないが、ディランはそこにはいないのである。

 『エデンより彼方に』などの意欲作をインディーズ・シーンから送り出した異才トッド・ヘインズ監督が、ディランのカリスマ性に臆せず、もちろん彼への敬意を失わず、大胆な物語に仕上げている点は評価されるべきだろう。ディランの分身たちを演じた実力派俳優の共演も見どころで、『バットマン・ビギンズ』(2005年)のクリスチャン・ベイルや先ごろ惜しまれつつ急逝した『ブロークバック・マウンテン』(2005年)のヒース・レジャー、『シカゴ』(2002年)のリチャード・ギアといった豪華な顔ぶれが並ぶ。とりわけ男装してディランのカリスマ性を表現し、アカデミー助演女優賞にノミネートされたケイト・ブランシェットの存在感は圧倒的だ。

 ディラン映画という観客を限定するイメージでとらえるにはもったいない。じっくりと向き合えば、確かな手ごたえを返してくる力作である。

(文/相馬学)



編集部注

*1 ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie/1921~1967)は米国のフォークシンガー。労働しながら米国各地をめぐり、労働者の歌を歌い続けた。ディランは彼を敬愛しており、ガスリーに関する曲を書きレコーディングしている。この映画では黒人少年として登場するが、実在したガスリーは白人。映画では、音楽に影響を受け始めたディラン自身を「黒人少年ガスリー」に象徴させているかと思われるが、真意は不明。「ファシストを殺すマシン(This machine kills Fascists)」の逸話が登場するが、これはガスリーのギターに実際に書かれていた文言。ガスリーの公式ホームページで、そのギターを持った彼の写真が確認できる


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