光と陰に包まれた
ミシュランの歴史

「ミシュランガイド」はもともと、タイヤ交換やガソリンの入れ方、移動中に宿泊や食事のできる場所といった実用的な情報を掲載するために生まれた。ちなみに創刊時の1900年、仏全土のクルマの台数はわずかに3500台だった。 (画像クリックで拡大)

1900年に誕生した創刊号。「ギ・ド・ルージュ」(赤のガイド)とも呼ばれ、赤い装丁が目印なのは、いまも変わらない。(画像クリックで拡大)

 世界一の「権威」とも言われるこのレストランガイドは、パリ万博が開催された1900年に、フランスのタイヤメーカー「ミシュラン」によって発行された。「タイヤメーカーがなぜガイドブックを?」と疑問に思う方もいるだろうが、そもそもの目的は「クルマでの旅をより安全で楽しいものにする」こと。そのために、クルマの給油や修理が受けられる場所、質の良い宿泊施設やレストランといった情報を、ドライバー向けに提供し始めたのが発端だった。

 誕生当初は無料で配布されていたミシュランガイド。けれど、1920年からは有料化されている。お馴染みの「星」マークでの格付けを開始したのは、26年から。現在では世界のおよそ100カ国で販売され、格付け調査の対象国は21カ国となった。そして、22番目の対象国に選ばれたのがここ日本、というわけだ。

 ヨーロッパ大陸からスタートし、アメリカ大陸に渡り、遂に「東京版」でアジア進出を果たすミシュラン帝国。しかし、これまでの栄光の歴史の裏では、批判の声もつきまとった。いわく「フランスの評価基準を他国に押しつける覇権主義」「公正さに欠ける政治的なガイド」「庶民感覚からかけ離れた評価本」などなど。とりわけ、星を失ったレストランから自殺者が出るに至っては「誰がシェフを殺したのか?」とばかりに、ガイドの威光に疑問の声が湧き起こった。

 記憶に新しいところでは、2003年に起きたフランスはブルゴーニュ地方の三ツ星店『ラ・コート・ドール』の料理長ベルナール・ロワゾー氏の猟銃自殺。その著書『星に憑かれた男』のなかでも、ミシュランの星に人一倍のこだわりを持つことを隠さなかったロワゾー氏が、ミシュランガイドで降格されることを恐れ「自殺に追い込まれたのでは?」との憶測が、多くの国のメディアは取り上げられた。

 さらに1966年。当時、パリで人気だった一ツ星店『ルレー・ド・ポルケローユ』が、星を奪われるという「惨事」に見舞われた際、オーナーのアラン・ジック氏が恥も外聞もなくミシュランに直訴。むろん星を取り戻すことは叶わず、数ヵ月後、悲しみに暮れたジック氏は自らのこめかみに銃を押し当てたといわれている。