「ほぼ日手帳」 人気の秘密教えます 糸井重里インタビュー

 ――「ほぼ日手帳」は1日1ページですが、見開きで1週間の「ほぼ日週間手帳」も出されましたね。こうなると、本体を買わずに、路線図だけ、週間手帳だけを使う方も出てきそうですね。

「ほぼ日週間手帳」は見開きで1週間分書き込める(画像クリックで拡大)

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糸井氏

 糸井 実際、そういう方もいらっしゃると思います。それは全然構わないんです。本体は重いから外出先では週間手帳だけ使うとか、そういうのは、その人と手帳の関係ですから。でも、この本体の、適度に邪魔な大きさっていうのはいいんですよ。携帯とか財布とか、小さくなり過ぎたら多分とても困ると思うんです。すぐなくしたり、使いにくかったりして。生活にちょうどいいサイズというのがあるんです。自分が情報を預けるものは、この文庫サイズなのかもしれない。

 ――手帳というメディアには文庫サイズが向いていたということですか?

 糸井 「ほぼ日手帳」の原点は、ぼくが昔、文庫本にメモしてたことから始まってるんです。編集者なんかには束見本(つかみほん:単行本を作る過程で作られる「束=本の厚み」を知るための見本で、中身は白紙)をメモ帳にしてる人がいっぱいいて、それがカッコよくて。でも僕は、もっと生意気だった頃にはニーチェの文庫本を手帳代わりにしてたんですよ。「この人を見よ」なんて書いてあるとこに、マジックで適当にしょうもないことを書くことが“ロック”だったんです。で、「何も書いてないメモ帳より、文庫本のほうが安いんだよ」って言うと「ほー」とか感心されて、ちょっとカッコいいんです(笑)。生意気になれるんですよね。でも、実は不便だった。裏写りしちゃうし。夜ね、小さな余白に自宅でマジックでちまちまと「23日木曜」とか書いて、全然ロックじゃないんです。カッコいい事の裏には、そういう正体もあるんです。そういうのを経て「ほぼ日手帳」が作られたんですよね。

糸井氏

 ――マンガとか日々の言葉みたいな部分に、その頃の“匂い”が残ってますね。

 糸井 そうですね、読み物があることも何もかも全部が、俺っていうヤツがじたばたと生きてきたことの「おつり」なんですよ。やっぱりその“匂い”は、ちょっと汗臭いなと思うかもしれないんです。今までの大量生産の手帳にはないことで。糸井重里というしょうもないヤツの、じたばたとした歴史があるから。でもそういうものを、これから、増やしていきたいんですよね。手の跡(痕跡)があるような商品ってチャーミングなんです。言ってみれば、「作品」と「製品」の間ですよね。

 ――そんな、糸井さんのパーソナルな思いから生まれた手帳が、今や多くの人に使われているわけですね。

 糸井 ぼくたちが想像していなかった使用例がどんどん出てきましたからね。使い方は使っているそれぞれの人が考えてくれて、好きに使うということが楽しいんだと思います。手帳の堅苦しさみたいなものは、多分、会社が配るものだったからです。上から“賜る”ものだったんですね。でも「ほぼ日手帳」は下から湧き上がるものだから。「あなたがいて、仕事がある」と言う状態が前提なんです。空白の日があろうが、斜めに書く日があろうが。絵を描こうが、何でもいいはずなんです。「手帳」という言葉の呪縛に、ユーザーもメーカーもみんなとらわれていたんですね。