目標としていた紅白出場も手が届かんばかりに、快進撃中のアイドルグループ、「ももいろクローバーZ」。彼女たちのファン層は老若男女と幅広いが、その中でもユニークなのが、中年男性、それもこれまでアイドルに興味のなかったオヤジたちが、「人生が変わった」というほど熱狂している点だ。劇作家で、コピーライター、クリエイティブ・ディレクターでもある鈴木聡も、その一人。今月上旬には「ももクロ」にはまったオヤジたちの群像劇、その名も「おじクロ」という芝居を書き、演出する彼に、自身を含め、オヤジたちが今、なぜ「ももクロ」にはまるのか、そして何を求めているのかを聞いた。

鈴木 聡(すずき さとし)
1959年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。サントリー「ワンフィンガー、ツーフィンガー」ホンダ「インテグラ、ノッテグラ」「こどもといっしょに、どこいこう」など代表作多数。1983年、サラリーマン新劇喇叭屋(現・ラッパ屋)を結成。現在はCMプランナーとしても活躍しつつ、演劇、映画、テレビドラマ、新作落語などを幅広く執筆。代表作にミュージカル「阿 OKUNI 国」、NHK連続テレビ小説「あすか」「瞳」など。「あしたのニュース」「八百屋のお告げ」で第41回紀伊國屋演劇賞個人賞、「をんな善哉」で第15回鶴屋南北戯曲賞を受賞

 「ラッパ屋」という劇団をご存じだろうか。圧倒的に女性客に支えられている日本の演劇界において、彼らは「30代以上の男性サラリーマンたち」をコアな客層とする、稀有な劇団だ。主宰者の鈴木聡の、ごく普通の人々の日常を時にユーモラス、時に切なく描き出す作風と、口跡明瞭な俳優陣の確かな演技力が魅力で、サラリーマンはもちろん、広告業界や芸能界にも熱烈なファンが多い。(2010年の公演ちらしには、俳優の大泉洋、作家の角田光代ら各界からの「ラッパ屋愛」コメントが並んでいる)。そんな彼らが次に扱うテーマが、今、一番旬なアイドルともいえる「ももいろクローバーZ」。それぞれに事情を抱えたおじさんたちが、思いがけずももクロにはまり、紆余曲折を経て、最後にはももクロダンスを踊ってしまう…というコメディだ。作者の鈴木はもともとアイドルには興味がなかったが、ひょんなことからももクロに出会い、分析するうち、自身もすっかりのめりこんでしまったという。

塚地武雅さんの幸福顔に刺激されて

鈴木聡(以下、鈴木): きっかけは、何かに載っていた、ドランクドラゴンの塚地武雅さんの写真です。僕は芸人さんとして塚地さんが大好きなのだけど、その彼が、人間、ここまで楽しそうな顔ができるのか、というくらい幸せそうな顔をしていて、それがももクロのライブに来た時の写真でした。いったい、ももクロの何がそんなに人を夢中にさせるのだろうと興味を持って、ユーチューブのコメントやアマゾンのレビュー欄を覗いてみると、「感動した!」「号泣した!」「ももクロによって生きる勇気が出てきた!」と、非常に熱いコメントが並んでいる。それもいい年をしたおじさんたちが、「これまでアイドルには興味がなかったのに」というとまどいを交えながら語っていて、これはいったいどういうことなんだろう、とDVDを取り寄せてみたら…僕もはまってしまったんですね(笑)。

 まずは、彼女たちのパフォーマンスにしびれてしまった。その「全力ぶり」というのが、他では見たことがないような迫力だったんですよ。しかもそれを、もんのすごく楽しそうにやっている。全力であることを楽しんでいるんですね。そして、メンバー5人中4人が高校生と言うこともあってか、どこか部活をやっているような、良い意味でのアマチュアスピリッツも漂う。突出した美人というわけでもないので、異性として見たり、彼女にしたいというより、高校野球の球児に対するような、「親戚の子」的親しみが湧いて、応援したくなってしまうんです。

「全力で生きろ、そして楽しもう!」――大人だからこそ痛感する、ももクロのメッセージ

 自分自身、高校生の女の子のファンになっちゃうなんて意外でしたし、他のオヤジファンたちも「こんなはずではなかったのに」とおろおろしているようですが、僕が思うに、ももクロのオヤジファンというのは、彼女たちの中に、自分たちが失ってしまったものを見出しているのでしょう。「もう自分には戻ってこない青春」ですね。高校野球を見るときと同じです。そして、彼女たちの全力投球ぶりを見ているうち、実際は彼女たちは決してそんなことは言わないだろうけど、「おじさんたち、ちゃんと生きてる?」と問いかけられているような気さえして、反省したり、奮い立ってしまう。人生観が変わるんですね。

 今は経済にしても何にしても、いろいろ厳しい時代で、希望を持ちにくい。けれども、ももクロのパフォーマンスには、ともかく自分が全力を尽くす、そして結果ではなく、全力を尽くすこと自体を楽しめばいいんだ、というメッセージがある。これは大人だからこそ、強く感じるのかもしれません。