マンガ家が作品の核であるネームを他人に任せることを認めることは、構想から仕上げまで、作品全体を一人でコントロールするという従来のマンガ家像を打ち破る行為。たとえ、フィクションではあっても、大場・小畑両氏を含め「ジャンプ」編集部がそれを認める意味は小さくないという。この場面は「少なくとも小畑さんの了承がなければ、存在しなかったはず」(同)なのだ。

 同じ場面には、サイコーがシュージンにネームの意味を教えるやりとりも含まれる。だが、そもそもなぜ、シュージンはネームの意味さえ知らないという設定だったのか。それは、ネーム原作の意味を一から説明するとともに、サイコーの主導により役割分担が決まる場面を導くためであり、さらには、その場面を描くことによって新たなマンガ家像を印象づけるため……というのは考え過ぎだろうか。

分業がマンガ界を変える?

 いずれにしても、絵を描くのは得意だが物語を考えてネームを作るのは苦手な者と、ネームを作るのは得意だが絵を描くのは苦手な者が、作業を分担してコンビを組むのは自然な成り行きでもあるだろう。竹熊氏はこう続ける。

 「戦後のマンガ界では、手塚治虫という例外的な天才がマンガ家のスタンダードとして扱われてきましたが、そもそも週刊連載を一人でやることには無理があります。ジャンプには、それを解消するために分業化を進め、同時に、そうやって門戸を広げることでマンガ家志望者を集めたいという思惑があるのでしょう」

 実際、同作の連載開始以来、「ジャンプ」編集部への「原稿の持ち込みや投稿者の年齢が若くなってきている」(※注2)とか。マンガ家志望者が増えれば、マンガ界の活性化にもつながるだろう。一方、近年は雑誌休刊のニュースが珍しくなく、マンガ誌も例外ではない。竹熊氏は今後、マンガ週刊誌は半減し、80年代始めのころの数に落ち着くと予想している。「ジャンプ」が爆発的に売れる前の時代に戻るわけだ。

 「そんななか、マンガバブルの象徴とも言えるジャンプが、業界に先駆け、このような作品をプロデュースするわけですから、さすがマンガ界の中心的存在ですね」(同)

 果たして『バクマン。』はマンガ界の「改革」を推進する作品となるのだろうか。今後の展開から目が離せない。

(※注2)『バクマン。』担当編集者、相田聡一氏の発言。『QuickJapan』81号より。

(文/西野基久)