『笑う犬』シリーズや『爆笑レッドカーペット』の生みの親として知られるフジテレビ編成制作局の吉田正樹氏が09年1月1日付けで同局を退社した。在局中は番組ヒットにとどまらず、多くのテレビ制作マンが敬遠するインターネットとの連動にもいち早く着手するなど、メディアの未来を左右するキーマンとしても動向が注目されていた人物だ。

 退社後は、企画プロデュース会社「吉田正樹事務所」を発足。さらに、夫人である渡辺ミキ氏が社長を務めるワタナベエンターテインメントの会長に就任する。名物プロデューサーとして、ますます局の要になっていくだろうと思われていた49歳。退社に至った理由と今後について聞いた。

――このタイミングでの退社に驚いている関係者も多いと思います。いつから考えていたんですか?

よしだ・まさき 1959年8月13日生まれ。兵庫県出身。東京大学法学部卒。83年フジテレビ入社。担当した主な番組は表を参照。『ネプリーグ』『トリビアの泉』の宮道治朗、『爆笑レッドカーペット』の朝妻一、薮木健太郎ら、現在のフジバラエティを支える「吉田チルドレン」も多数

吉田氏: 日枝(久)会長には1年くらい前に話に行っていました。2年くらい前から、放送やその周辺まで含めて総合的なエンタテインメントの仕事をやりたいと思うようになりまして…。これからのテレビは、放送局同士の戦いだけじゃなくなりますから、番組をベースに、ケータイやインターネット、マーチャンダイジングなどを総合的に見ていく新しい場を作りたいなと。

――背中を押した考えは?

吉田氏: テレビ局は3カ月ごとに業績を発表して、そのたびに株価が上下する社会のしくみになっています。上場しているとはそういう意味なのですが、ドラマなんかはそれが形として正しいかもしれないけど、バラエティはそういうものじゃない。1つのムーブメントからピークを迎えるまでに2~3年はかかる。そこで、タレントの育成から番組の成立、さらにその後の収穫まで、継続性のある仕事を自分でやってみたくなったんです。

吉田正樹氏 主な仕事史

時期 番組名 メモ
80年代  AD  『オレたちひょうきん族』 制作マンデビュー
 AD ⇒D  『笑っていいとも!』 名物スタッフとして番組にレギュラー出演
 D  『新春かくし芸大会』 『新春かくし芸大会』以降、プロデューサーとして09年まで参加。フジ社員として最後の仕事
 D  『初詣!爆笑ヒットパレード』 同上
 D ⇒P  『FNSスーパースペシャル
        1億人のテレビ夢列島』
以降、総合プロデューサー、制作統括も担当
 D  『夢で逢えたら』 ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコのコント番組。初回0.6%から最高視聴率20.4%を記録
90年代  D  『誰かがやらねば』  
 D ⇒P  『やるならやらねば』 収録中の出演者死亡事故で打ち切りに
 P  『殿様のフェロモン』  
 P  『新しい波』 現在『新しい波16』に受け継がれる
 P  『とぶくすり』 『めちゃ×2イケてるッ!』の前身番組
94年、編成部に異動。『SMAP×SMAP』『めちゃイケ』『LOVE LOVEあいしてる』『27時間テレビ』などの編成を担当
98年、制作部に復帰。『笑う犬の生活-YARANEBA!!-』をプロデューサーとして立ち上げ。23時台大改編の1つとしてスタートされるが、コント冬の時代で初回視聴率は8.0%
 P  『笑う犬の冒険』 99年にゴールデン昇格、コント復活を象徴する番組に。以降03年までシリーズ
 P  『平成日本のよふけ』 司会者にゲストを明かさない新機軸のトーク番組。03年までシリーズ化
 P  『力の限りゴーゴゴー!!』 一般参加のアカペラコーナーが人気となり、RAG FAIR、INSPiらを発掘
2000
年代
 P  『感じるジャッカル』  
バラエティ制作センターライン部長に。デジタルコンテンツ局部長として、放送と通信の連携にも携わる
 GP  『トリビアの泉』 03年に最高視聴率27.7%。雑学ブームに
 GP  『ネプリーグ』 08年バラエティ年間視聴率
 GP  『お台場明石城』  
 企  『井の中のカワズ君』 テレビ局がYahoo!JAPANと本格的に組んだ初のバラエティ組
 GP  『アイドリング!!!』 デジタルメディア横断プロジェクトとして初のオンデマンド配信番組
 GP  『幸せって何だっけ
      ~カズカズの宝話~』
 
 企  『爆笑レッドカーペット』 08年に番組最高22.5%。11月から全国ネットの有料配信番組の目玉として登場

 記号の見方/企=企画、GP=ゼネラルプロデューサーまたは制作、P=プロデューサー、D=ディレクター、AD=アシスタントディレクター