増える社員と下がる業績、そして“スリム化”

 連結売上高2兆5082億円という業績のピークを迎えた2003年度の社員数は8万2337人。その後も増え続け、2006年には10万6389人という最大の社員数になっていた。ところが業績のほうは2004年度がマイナス1715億円、2005年度がマイナス2056億円という最終赤字を計上しており、当然、人員削減も視野に入ってくる。

 そんな2005年6月、三洋電機の会長兼CEOに野中ともよ氏が就任。1947年の会社発足、1986年の三洋電機と東京三洋電機の合併に続く、大きな節目としての「第3の創業」を標榜し、新たなブランドビジョン「Think GAIA(シンク ガイア)」を打ち出した。その一方で、「SANYO EVOLUTION PROJECT(サンヨー エボリューション プロジェクト)」という構造改革プランを立案して、“進化のためのスリム化”と称した、要するにリストラを計画。これには3年間で全世界の社員数の15%削減(約1万4000人)、国内工場の20%を閉鎖および売却などが盛り込まれていた。同時に2006年、ゴールドマン・サックスをはじめとする金融3社の経営への参画もあり、社員数は2009年には8万6016人まで減少した。

 また2010年の社員数は史上2番目に多い10万4882人だったが、これは連結社員数すべてを含んだもので、実は三洋電機単体での数は減少し続け、2006年時点で1万4137人だったのが、2010年には9504人にまで削減されていた。

 こうした流れの中、2009年12月にパナソニックが三洋電機を連結子会社化し、2011年4月に完全子会社化すると、パナソニックグループの事業再編のなかで、さらに急ピッチで人員削減が進む。

ハイアール移籍組は3100人!

 物流専門子会社の三洋電機ロジスティクスの売却(現・三井倉庫ロジスティクス)。三洋半導体のオン・セミコンダクターへの事業譲渡。三洋精密の日本電産への譲渡。デジタルカメラおよびデジタルムービーカメラの事業譲渡。洗濯機および冷蔵庫事業を行っていた三洋アクアなどのハイアールへの譲渡。なかでも大きかったのがハイアールへの洗濯機や冷蔵庫の事業譲渡で、国内340人を含む、3100人が移籍していった。

 さらに、鳥取県最大の企業であった三洋電機コンシューマエレクトロニクス(旧鳥取三洋電機)も再編。米ウォルマート向けにテレビを供給していた北米テレビ事業は船井電機に売却される方向で話が進んでいる。希望退職制度を含む人員削減への取り組みも進め、2010年に10万人いた社員はこうして約7000人になったわけだ。

三洋電機のDNAはパナソニックに息づいている?

 2010年7月、パナソニックによる完全子会社が発表された日の午後、当時の三洋電機社長 佐野精一郎氏は、大阪府守口市の本社と、国内21カ所の拠点と海外拠点を結んだ役職者説明会において、こう語った。

 「これからパナソニックグループの全体最適を目指して事業再編が行われるが、社員の皆さんは卑屈にならないでほしい。近い将来、みなさんがパナソニッグループを牽引することを期待する」

 三洋電機社員が1人もいなくなる今、この言葉を改めてかみしめたい。三洋電機のDNAはパナソニックのなかに息づいているだろうか?

 少なくとも、製品や技術という形では、確実に息づいているといえそうだ。住宅用太陽光発電システムのHIT、ニッケル水素電池「エネループ」、スチームIHジャー炊飯器「おどり炊き」などは、三洋電機の技術や事業を引き継いだものだ。

 またBtoB事業を成長の柱に据えるパナソニックにとって、三洋電機が持っていた大型空調事業とコールドチェーン事業は、今後の収益確保の重要な柱になる。