小は音楽プレーヤーやスマートフォン、大は大型計算機やジェット旅客機まで、今やすべての“デジタルな機器”は、その頭脳であるCPUなしには動かない。ユーザーがそれ自体の計算能力やスピードに価値を求めるPCのCPUから、クラウドの向こう側に多数存在しているサーバー向けCPU、ひっそりと産業機器や家電製品に搭載されている組み込みコンピューター用のCPUと、わたしたちの生活は数多くのCPUに囲まれている。

 今回は、そんな“現代の頭脳”といえるCPU、それもより身近なPC用CPUの歴史を振り返ってみたいと思う。

CPUって何?

 そもそも、CPUとは何ぞや。

 略さずに言えばCPUとは「Central Processing Unit」、日本語では「中央演算処理装置」。英語ではやや抽象的だが、日本語ではその機能をズバリ表していて分かりやすい。CPUの中心で行われているのは、まさに「演算」なのである。

 デジタルの世界で取り扱うのはデータであり、そのデータから結果を出す操作が「演算」である。「1+2=3」という単純な計算から、ロボットが行う「Aという箱からBという歯車を取り出してCという軸の奥からXmmの部分にはめる」といった複雑な動作まで、すべてはデータと演算を使って表現できる。ただし、ここでいう「演算」は普通の計算とはちょっと違って、「and」や「or」などの論理演算子というものを使って処理する「論理演算」のことでもある。

 CPUは、「MPU(Micro Processing Unit)」という言葉で表されることもあるが、CPUが複数のチップ(LSI)から成り立つ場合もあるのに対し、MPUは原則「1つのチップに集積したデバイス」と定義されるケースが多いようだ。ここでは両者を混在させるとまぎらわしいので、すべて「CPU」という言葉で統一したい。

生みの親は大型計算機、育ての親は電卓

 CPU、つまり中央演算処理装置の概念は大型計算機によって確立した。

 1960年代に半導体デバイスが発明・実用化される以前は、大型計算機は数えきれないほど多くの真空管やリレーを使ってその中枢部となる演算回路を実現していた。この演算回路がのちのCPUとして「小さな場所に詰め込まれる=集積化」していくことになる。

 計算機の世界に半導体デバイスが導入されると、劇的なサイズの縮小とコストダウンの流れが起こった。初期の回路ではまだ集積化された「CPUチップ」のイメージはなく、真空管やリレーを使っていた回路が、トランジスタを組み合わせた論理回路へとまずは置き換わり、次に一つひとつが論理演算を個々に実行する「ロジックIC」と呼ばれる半導体デバイスを組み合わせて回路が作られていった。ここからさらに小型化・低コスト化を実現するための集積化が求められるようになるのだが、その前に思わぬ方向からCPUの市場ニーズが出現することになる。

 それは、大型計算機とは180度異なる世界である電子式卓上計算機、すなわち「電卓」である。

 電卓の世界では1960年代、日本において熾烈な開発競争が繰り広げられていた。初期にはトランジスタを使った電卓が、大井電気や早川電機(現シャープ)、キヤノンなどから発売されていた。重さは20kg前後、価格は大卒の初任給が2万円台だったころに40万~80万円と、実に高価なオフィス機器だったのである。

 ICやLSIなど、集積化された半導体デバイスが市場に出てくると、電卓製造各社はいち早くそれらを採用し、機器の小型化と低コスト化にまい進し始める。とうとうシャープが、1969年に4つのLSIに機能を集約して、重量は1kg台、値段も10万円に収まる、小型軽量・低価格な電卓を発売した。さらに1971年にはビジコン社が、すべての電卓機能を1チップLSIに集積化し、重量も300gと軽量化した電卓「LE-120」を発売した。

 当時、プログラムを変えることで同じハードを使って異なる能力を持った電卓を製造しようと考えていたビジコン社は、そのようなチップ、つまりセットしたプログラムを実行してくれるCPUを開発・設計してくれる製造会社を探していた。米国で1969年に半導体メモリーの製造会社として発足していたインテル社がその要求に応え、ビジコン社と共同開発および独占使用権についての契約を交わした。インテル社のテッド・ホフが4ビット処理のCPUを考案し、設計はビジコン社から派遣された嶋正利が行った。そして1971年に発売されたのが「世界初のCPU」と呼ばれる「4004」である。動作周波数は500kHz~741kHz、つめ込まれたトランジスタ数は約2300個。「製造プロセス」とも呼ばれる回路の線幅は100分の1ミリ(10マイクロメートル)だった。

 のちに、このCPUの市場性に気付いたインテル社が、ビジコン社から4004の販売権を買い取り、独自に販売を開始することになる。こうして“インテルCPU帝国”が走り始めた。皮肉なことに一方のビジコン社は、激しい価格競争やオイルショックの影響で1974年に倒産してしまう。

 実は4004を設計した嶋氏、世界初のCPUを生み出しただけでなく、個人向けコンピューター、すなわちPC=パーソナルコンピューターを実現させるキーデバイスとなったインテル社の8ビットCPU「8080」の生みの親でもある。