こんばんみ!
ボクは松井秀喜選手と同じ学年で、
高校生の頃からずっと見てました。
甲子園での5連続敬遠、ボクが大好きな巨人軍へ入団、
4番バッターになって、ついにヤンキースへ。
20年間、ほんとに楽しませてもらいました。
そんな松井選手の素晴らしいエピソードで締めくくる最終回、
どうぞ最後までお楽しみください!

古内義明
生年月日:1968年7月7日。出身県:福島県。所属先:株式会社マスターズスポ―ツマネジメント代表取締役。略歴:立教大学体育会硬式野球部出身。広告代理店勤務を経て95年に渡米、ニューヨーク市立大学大学院でスポーツ経営学を学ぶ。在学中よりメジャーリーグの取材を始め、現在までに2000試合以上を取材した第一人者。最近のお仕事:日本唯一の高校・大学球児向けフリーマガジン『サムライベースボール』の発行人兼編集長。最新刊は『松井秀喜―献身力』(大和書房)
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松井秀喜とジーターが別格だと思う理由

ビビる大木(以下、ビ):毎試合ごとに取材に応じているんですよね、松井選手は。

古内義明(以下、古):はい。もうほんとにその部分は野球選手の鏡ですね。これまで50人くらい日本人がメジャーに行きましたけど、毎試合取材に応じたのは松井君だけですね。

ビ:あぁ、そうなんですか。すごいですね。ほかの選手は、試合が終わったあと「俺、今日は取材受けないよ」って帰っちゃうこともあるんですか?

古:別に毎日取材を受けなきゃいけないって、決まっているわけではないんです。僕ら、試合終了後10分経ってからロッカールームに入れるんですけど、その10分の間にさっさと帰ってしまう人もいますよ。

ビ:あ、今日は話を聞かれたくないってときはさっさと帰るんですね。やっぱり自分がミスして負けた日なんかは取材されるの嫌ですもんね。

古:あぁ、それで言うと、やっぱりジーターがすごいんですよ。

ビ:ジーター! ヤンキースのキャプテンですね。

古:ジーターは負けた試合のあとは、必ず取材を受けるんです。20人くらいに取り囲まれて、最後のひとりの質問が終わるまで絶対に動きませんから。

ビ:へぇ!

古:キャプテンとしての責任感でしょうね。

ビ:さすがですねぇ。

古:でも逆に自分が打って勝った日なんかは、さーっと帰っちゃうんです。で、あるとき聞いたんですよ。「なんで負けた日は丁寧に取材に応じるのに、自分が活躍した日は帰っちゃうの?」って。そしたら「今日は僕以外にも活躍した人がいるから、そっちに脚光を当ててくれ」って言うんですよ。

ビ:カーッ。なかなか言えないですね、それは。ダメな日は自分で責任を果たして、よかった日は人に譲るんですね。

古:25人で頑張っているんで、みんなのことを書いてほしいって、そういうことをサラッと言うんですよね。こういうキャプテンがいるチームはやっぱり強いだろうなって思いますよね。

ビ:うんうん。そうなんですね、やっぱり。

古:だから松井君とジーターが仲良しだったというのは、よく分かりますよね。

ビ:人格者どうしですね。あのふたりも同じ年なんですよね。僕の生まれた74年。

古:そうですねー。

ビ:74年生まれ、すごいなぁ。あと華原朋美ちゃんも同じ年で(笑)、応援しています。