「機能」は利便性よりも“快楽”の問題

──飲食店であれば料理やサービスが「ここ、好きだな」「気持ちいいな」という判断基準になります。そのときの「何か好き」「何か気持ちいい」ということには、建築も関係してくると思うんです。じゃあ、その「何か」を感じさせる場所を、どうやってつくるのか。みなさん「難しい質問だ」っておっしゃいますけれど(笑)。

西沢:使うという話でいえば、僕は例えば集合住宅を設計するにしても、集合住宅としてしか使えないものをつくるのではなく、むしろもうちょっと大きなものをつくりたいと思っています。人々がその空間を見て、気に入って、全く違う使い方を思い付くような、そういう空間的な魅力を持つものですね。人々の空間的な想像力を喚起する建築をつくりたいんです。

 昔、森山邸という建物をつくりました。それは四角い部屋が分散するような、全体で村みたいなものになっています。それは一般的には「集合住宅」と呼ばれるものなんですけれど、自分は集合住宅として設計したつもりはなかった。むしろそれを見た人が「自分もこれは使いたい」って思うような使い方が集合住宅に限定されないものにしたいと思っていました。違う言い方をすれば、使い方が変わったくらいではその価値がなくならない建築をつくりたいと。

 例えば、人によってはこういう空間は塾に使えるなとか、託児所に使えるなとか、自分ならこう使いたいなって思わせるもの。すごく魅力的な空間に出合ったときに「ここを使いたい」と人が思ってくれる、そういう空間的な想像力を呼ぶ建築です。

──使い方を限定しないといっても、いわゆる「多目的スペース」とは違うものですよね?

西沢:すごく違うものだと思いますね。多目的な空間であるとしても、そこには個性が必要です。例えば、日本の民家は「田の字プラン」に代表されるように、多目的でフレキシブルな(柔軟に利用できる)ものになっています。でも、そこには強い個性がある。「どのように使っても構わない」というものとは少し違い、その建築にはある方針や哲学のようなものが強烈に存在しています。そういう個性があるから、日本の民家はすばらしいんです。

 そう言いながらも、予想もできないような使い方を期待していて、そんな使い手を引き寄せるような建築をつくりたいと思っているわけですから、まぁ多目的には違いないというか(笑)……でもやっぱり、いわゆる「多目的スペース」とは違うものですね。

──「つくる側」の創造と「使う側」の創造がお互いにキャッチボールして成り立つんだ、というお話がありましたよね(前編)。使う立場としては、なるほどと感じながら少しドキっとしたところです。

西沢:使うというのは本来、創造的なことなんです。創造的であるわけですから、建築を使うときに、こうじゃなきゃダメだというルールはありません。

 例えば、住むということはすごく個性的なことです。ひとたびそこに住み始めたら、その人らしさがどうしても出てきます。選ぶ家具、カーテン、全部がその人の個性や価値観というものを表現するんです。だから自分の友達と同じように住もうと思っても、どうやってもできない。その人らしさが最大限に出てしまうような分野、それが「機能」だと僕は解釈しています。

──いまのお話だと、「機能」という堅い言葉が楽しげなものに変わりそうですね。

西沢:機能ということを「便利か不便か」という尺度では考えないほうがいいということですね。機能とは「使いやすいかどうか」ではなくて「使いたいかどうか」なんです。使いたくなるかどうか──それは要するに「快楽」の問題であって、利便性や効率性の問題とは違います。その意味でも、使うということと愛するということは、僕のなかではつながってきますね。

 それから、もしも機能ということを使いやすいかどうかの「利便性」で考えてしまうとですね、究極には自己否定みたいなものが来るような気すらしているんですよ。

森山邸(西沢立衛建築設計事務所/2005年完成)。周囲の建物のボリューム感に合わせて、複数世帯のための住宅を大小10棟の白い箱に分けている。1棟で住宅の機能を満たすものもあれば、リビングだけ、浴室だけの棟もある。後者は、住人がいったん屋外に出て行き来する。建物に囲まれた空地が庭になっている(写真:吉田 誠)
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森山邸。棟同士が向かい合う部分は、窓と窓が正対しないように配置している(写真:吉田 誠)
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森山邸。道路と敷地の間には塀も門もない。各棟の間にできる路地空間によって、街との連続性を持たせている(写真:吉田 誠)
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