「三洋電機」のヒット商品と、それを生み出してきた開発者や企画者たち、そして三洋電機というブランドの“履歴書”を、まとめていく連載第3回。「ナショナル」ブランドが「サンヨー」ブランドへ変わった創成期から、家電メーカーとしての地位を確立していく60年代半ばまでを解説した第2回に続き、現在の太陽電池や二次電池の成功にもつながっている「電池」の開発、試練、経営の根幹にある精神について解説する。三洋電機の歴史完結編。

1961年に思索に成功したのが通称「カドニカ電池」(密閉型ニッケルカドミニウム蓄電池)個々からラジオ、カミソリ、ライトが誕生していく(画像クリックで拡大)

 三洋電機は、ラジオ事業、テレビ事業、そして家電事業へと広がりを見せるなかで、1954年2月に株式を公開。同年4月に大阪証券取引所に、12月には東京証券取引所に上場し、経営基盤を固めていった。

 そうしたなか、三洋電機が新たに挑戦したのが、通称「カドニカ電池」と呼ばれる密閉型ニッケルカドミウム蓄電池である。

 のちに3代目社長となる井植薫氏は、他社が力を注いでいたアルカリマンガン電池ではなく、「次世代の電池をやるべき」と判断。その号令のもと、海外の特許に頼らなくては開発できないとされていた密閉型充電池の研究開発に取り組み、1961年、独自方式を確立することに成功した。

 量産試作段階での歩留まりはわずか3%という厳しい状況からのスタートだったが、創業者の井植歳男氏は、「月産10万個が実現すれば、世界30億人の人口のうち、10%の人がカドニカ電池を使ったラジオを購入してくれる」と壮大なプランを示し、開発者たちを鼓舞していった。

1963年に登場した世界初の「充電式電池(カドニカ)内臓トランジスタラジオ」8S-P25型(画像クリックで拡大)