【田中造景の「庭道流」風景ストーリー哲学】

庭造りとデジカメ撮影の意外な共通点

 日本庭園の基本的な様式である「浄土式庭園」の場合、庭には必ず水を配置するという発想があります。庭に池を造ったり、川を引いたり……。昔から水こそが生命の源。それと同時に水は静まれば鏡のようになり、流れれば音を立てて、しかも波立ちます。つまり水は庭という空間の中で「静」と「動」とを表現するにはうってつけのアイテムだったのです。

外国人墓地にて。人工物の間に咲く花。わずかながら、ここにも水がある、つまり命の源があるという証拠だ。それをすかさず撮る造景さん(画像クリックで拡大)

 このように庭という空間に命の鼓動を吹き込むには、何らかの水を配置することが必要とされてきました。でも、それは実際に水がなければできないことなんですね。水の無いところでどうやって庭を造るか。その発想が「枯山水」という技法なのです。言ってみれば、庭とは大自然そのものを、今回の話に出てきたデジカメのジオラマというか、ミニチュア模型のような発想で身のまわりに造った空間なのです。

 水を使わずに水を表現する。水を使わない代わりに、小石や砂利を活用して、あたかも水があるように、その多くは大海原を表現するように考えられています。有名なのは京都の龍安寺の方丈庭園、俗称石庭ですね。小石を敷いた部分に模様を配し、それが水の流れを意味するように造られています。

 例えば今回訪れた大沼。仮にその傍らにそびえ立つ駒ケ岳に家を建てたとしましょう。駒ケ岳から見る大沼は、素晴らしくバランスの取れた大自然が造った浄土式庭園のように見えるはずです。大沼の中心に点在する小島は、まさに枯山水の中に配置する「天石」「人石」「地石」の石組みのように見えるはずです。

大沼から見た景色だけでなく、駒ヶ岳から見た景色も意識しながら撮影する造景さん。庭師ならでは視点ですね(画像クリックで拡大)

 このように庭造りの発想の中に、必ず向こうからどのように見えるのだろうかという視点があります。今回デジカメを持って撮影していても、必ず風景の被写体であれば、こちら側は向こうからどのように見えているのかを考えています。空を撮っていれば空から見た自分たち、空から見た函館の街というように……。庭造りの発想と、写真を撮ることの共通点みたいなものが数多くあることも今回気づきました。

 空よりも大地の方が大きい。今回、北海道へ来てそう感じました。北海道の大自然。おそらくこの厳しい土地は、昔から開拓が思うようには進まなかったんでしょうね。そのことが結果的には自然を守ることになった。北海道のこの広大な大地には、庭造りのヒントも数多く潜んでいる。そんな気がしましたね。(田中 造景)

「北海道の大自然をぜひ肌で感じていただいて、空よりも大地の方が広い、そんな感覚を味わっていただきたいと思います」と造景さん(画像クリックで拡大)

【関連サイト】
・庭道事務局(http://www.gardeningart.jp/