【田中造景の「庭道流」風景ストーリー哲学】

瑞泉寺・夢窓疎石の哲学

 今回、鎌倉にある瑞泉寺の庭を見に行きました。この庭は、鎌倉時代に活躍した夢窓疎石というお坊さんが造った庭です。この庭には、灯篭(とうろう)や庭石、つくばいといった寺の庭にあるべき“3点セット”すらありません。

 平安時代から現代に伝えられる「作庭記」(著者不明)という庭造りの基本が記された書物には、灯篭を置き、庭石を置いて、つくばいを配置すると記されています。いやらしい言い方になりますが、暗に日本建築上のビジネスの点からこれらを置こうということを意味しています。つまり、灯篭や庭石、つくばいといった庭造りアイテムの3点セットを用意することは、庭に込めるストーリー作りの軸という点で役立ち、さらにビジネス的な点からも意味を持つのです。

 ところが、今回の瑞泉寺の庭は商売的な要素が一切なく、宗教的な修行のために作られた庭といえます。仕事という生きていくための作業の前に、生きるための修行をする。木を植えれば木の手入れをしなければならないし、葉が落ちれば掃除しなければならない。そういった庭と人間、言ってみれば自然と人間の調和のための「おくりびと」が造った庭といえるかもしれません。

質問すれば瞬時に答える頭の回転の速さ。造景さんは禅問答の僧侶のようです(画像クリックで拡大)

 ここの庭はある意味特殊ですし、一人の夢窓疎石というお坊さんの生き様がここに入っています。前に島根の足立美術館で見た庭園も、足立全康という一人の男の生き様が庭に盛り込まれていました。そういう意味では、宗教性のあるなしだけの違いだけで、非常に似たものがあるかもしれません。

 瑞泉寺の庭は下から階段を登り、登りきって門をくぐったあたりでストーリーが完結しています。階段は極楽浄土への道のりで、入り口にある大きな杉の木、階段の右斜面の竹林、そして苔むした門。そこをくぐると花が咲き乱れた極楽浄土があるというストーリーで、本来は完結しているのです。ところが、その極楽浄土の先の世界も作ることで、そこに入り込んで自分を磨こうとしたんですね。きっとすごいお坊さんだったんだと思います。

 でも、一つの庭からさまざまなことがわかり、またそれを調べたり、理解したりすることって面白くないですか? 僕はとても面白いと思います。みなさんも、どこかで庭園を見たとき、ただきれいとかすばらしいとか思うだけではなく、そこにこめられたメッセージを読み取る努力をしてみてください。きっとすごく楽しくなると思いますよ。(田中 造景)

おかげさまで、庭の見方がわかりました。次は盆栽について教えてください(笑)(画像クリックで拡大)