地形を生かして庭園を演出する

寺の裏側にある庭園には浅い池があり、そこに本堂が映り込んでいた。それを見ているとき、なにかピーンときた。この庭は本堂から見るのではなく、実は庭側から見るように造られたのではないのか……。そんなことをひらめいたのだ。縦位置にカメラを構え、池への映り込みと一緒に本堂を撮った
【撮影データ】
キヤノンEOS-1D Mark IV、レンズ:キヤノンEF16-35mm F2.8L USM 、シャッタースピード:1/160秒、絞り:f4、ホワイトバランス:オート、ISO感度:3200
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 「この洞穴はなんなんだろうね……。穴にこもって修行でもしたのかなぁ……」などと、僕はひとりつぶやいていた。「僕の好きな作家の一人の新田次郎さんの山岳関係の作品には、山の途中の洞穴を利用して、僧侶がそこにこもって修行したというくだりが多くあるけど、この洞穴はそれっぽいなぁ……」。

 そんな僕の独り言を、造景はいつのまにかそばで聞いていた。

 「修行でこの穴にこもったかどうかまではわからないですけど、この穴の中から本堂を見たことは間違いないと思いますよ。この庭は、本堂から眺める庭というよりも、こちら側から見るような造りになっています」

 やっぱりそうだ。この穴にこもって、断食したり、瞑想にふけったり、そしてときおりこちらから見る景色を楽しんだに違いない。このあと、造景は妙なことを言った。

 「きっとこの池も彫ったんだと思います」

 まさか、と正直僕は思った。なんぼなんでも池を彫るなんて……。ところが、あとからいろいろと調べてわかったのは、この庭を造ったのは鎌倉時代の禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)。ここの山を彫り出して、この庭を造ったのだという。つまりこの庭自体がいわば彫刻なのだ。

滝も作られていて、スイッチを入れると滝が流れる仕組みになっている(画像クリックで拡大)

 ここの石質は、凝灰岩という岩石。火山から噴出した火山灰、おそらく富士山もしくは大昔に三浦の火山が噴火したこともあったのかもしれない。その火山灰が堆積してできた堆積岩。この石に近い石質がいわゆる大谷石。つまり、岩といっても、軟らかく、彫るのはそんなに難しくはない。ただ、細かい彫刻には適していないから、どちらかというと大雑把な細工しかできないはずだ。

 この岩を彫ることで作られた庭は、まさに禅の修業の場。岩を彫ったほこらで座禅を組み、あるときは断食を、あるときは瞑想を。そのことで余計なものをすべて捨て去ることこそ、禅の境地と悟ったのかもしれない。灯篭や庭石やつくばいを一切置かない。単に地形を生かして、庭園を演出する。不要なものは排除するという究極の「引き算」によって、この庭は造られていたのだ。

池も洞穴もすべて彫って作ったという究極の庭造り。住職の大石さんの話では、「本当の庭というのは、四気にかかわる気色を工夫すること。つまり自分の修行の場になる。山のたたずまい、海のたたずまい、その時間、季節によっても違い、そのことに向かい合いながら自分のこころを磨く。夢窓国師にとっては、庭こそが自分の修行の場だったんですね」ということだった
【撮影データ】
キヤノンEOS-1D Mark IV、レンズ:キヤノンEF24-70mm F2.8L USM 、シャッタースピード:1/640秒、絞り:f9、ホワイトバランス:オート、ISO感度:6400
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