水路を生活と守りに役立てる松江の人たちの暮らし

松江市内は、まるで水の街ベニスのように水路が張り巡らされている。川や水路で分断される土地は、橋を架けたり、もろもろの不便さもつきものだが、逆にこの不便さが外部からの侵略などから土地を守ることにつながってきた。不便さを逆手にとった生活は、松江ならではの生活感である。観光遊覧船に乗り、カメラを船縁から水面すれすれまで下げて撮ってみた
【撮影データ】
キヤノンEOS 5D markII、レンズ:キヤノンEF16-35mm F2.8L USM、シャッタースピード:1/60秒、絞り:f6.3、ホワイトバランス:オート、ISO感度:400
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亀がのんびりと甲羅干ししていたりもする(画像クリックで拡大)

 「松江や米子を案内してやるから……」

 4年前に亡くなった僕の親父はよくそう言っていた。親父は松江で生まれ、幼少時代をそこで過ごし、そして米子へ越したと聞いていた。「まぁそのうちに……」と思っている間に、気がつくともう一緒に行くことはできなくなってしまっていた。出雲大社や、松江に近い境港などは何度か来てはいるものの、松江は今回初めてで、どんな街なのか興味津々であった。

 クルマだとなかなか気付かないが、市内を歩いてみると至る所に水がある。水があるというよりも、水に囲まれた街とでもいうのだろうか……。水路とも川とも区別のつきにくい水がいたるところにある。

 松江の街は、いわゆる城下町だ。明治の廃城令で城内の建物は壊されたが、天守閣だけは残された。昭和25~30年に解体修理されたものの、現存する松江城を中心に、街は構成された形跡をいまだに残す街である。城を守るために掘った水路なのだろうか? いや違う。元々細かく水によって区切られた街。その水路が城への侵略を防ぐ最大の防御策として利用されたふしが多々見られる。いざとなれば、橋を壊してしまえば敵は途端に侵入できなくなる。大軍が攻めて来ても、そこで足止めを喰う。まさに地の利を生かした街なのだ。

観光船で回ると、至る所にかつてこの水路を利用していたと思われる跡が見られた。もっと水質の良かった時代には、洗濯はもちろんのこと、食材を洗ったり、お米を研いだりもしたそうだ。だから水路側の勝手口からは、階段で水路に降りられるようになっていた。階段が二つ並ぶのをカメラを縦位置に構えて撮ってみた
【撮影データ】
キヤノンEOS 5D markII、レンズ:キヤノンEF70-200mm F2.8L USM IS、シャッタースピード:1/640秒、絞り:f4、ホワイトバランス:オート、ISO感度:400
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 松江の観光名物であるお堀巡りの船に造景と乗ってみた。切符は一日乗船券となっていて、その日中であれば、何度でも乗ることができるのだ。造景と僕は、この観光船が気に入って、まず二度も続けて乗ってしまった。また松江城に行くにも、この観光船の別便に途中の停船場で乗り換えるとそのまま行かれる。僕たちはそのルートも利用させてもらったほどだ。

 この遊覧船、コースは全く同じなので、二度乗ったからといってなにか変化があるというわけではない。ただ、なにかのんびりとしていて、また船頭さんの説明が面白かったりして、乗るのがクセになってしまうのだ。

観光船の船頭さんのお話は楽しい。気が乗ると歌まで歌ってくれることもある(画像クリックで拡大)

お堀巡りをすると、松江城が見えてくる(画像クリックで拡大)