広大な敷地を、さらに広く大きく見せる技

枯山水庭でさまざまなアングルを試すうちに、地べたにはいつくばってみた。すると、本来は川であるはずの手前に敷いた白い砂利が海の波に見えてきた。まるでここに海があり、絶えず波が寄せては引く。そんなことを連想させられてしまった。庭はイメージの世界。自由な発想で向き合ってみるのもいいものだ
【撮影データ】
キヤノンEOS 5D markII、レンズ:キヤノンEF16-35mm F2.8L USM、シャッタースピード:1/1300秒、絞り:f10、ホワイトバランス:オート、ISO感度:1600
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 造園する場合のテクニックの一つに「遠近法」なるものがあるのだそうだ。こんな話をさせると、造景は必ず鼻の穴をふくらませて興奮気味に、しかも早口になって話す。このときもそうだった。

 「豊さん、千葉の浦安にあるあの有名なアミューズメントパーク。あれも遠近法で設計されているんですよ。遠景を土地的に低くなるようにして、遠いものはなるべく背を低く、しかも大きさも小さなものにする。ちょうど高原の高いところから下の世界を眺める感じを想像してください。遠景が目線的に低くなると、視界的に広さが感じられるんです。だから例のアミューズメントパークも、来た時は広いなぁ、あっちまでいってみようなんて気にさせられるわけです。帰りはその逆で、出口までの距離は視覚的に短く見えるんですね。まぁこの庭園は、帰りがどうのこうのという話は関係ないですけどね。とにかく同じ面積でも、設計ひとつで広くも狭くも見せられる。ここが僕たちの腕の見せ所ってとこなんですけどね」

 相変わらずノー天気な造景は、まるで足立美術館の庭園を自分が設計したとでもいいかねないような言い方をした。そもそもこの美術館の敷地面積は、現在では5万坪。つまり東京ドームが12個入る、とてつもない敷地に美術館と庭園とが配置されていることになる。開館当初は、敷地面積1000坪だったというから、相当大きなものへと変化している。

もし横山大観が生きていて、この美術館をみたらなんというかぜひ聞いてみたいと思った(画像クリックで拡大)

 また、開館時には芝生の庭だったものを、足立氏が日に日に手を入れるうちに白砂青松の庭へと変化している。これは本にもどこにも書かれていないのだが、横山大観の絵画に「白沙青松」という台の絵画があり、この絵をイメージした、いわゆる庭そのものがアートの世界ということを意識したのではないだろうか? そう考えると、「生の掛軸」など、床の間の壁をくりぬいて、あたかもそこに一つの山水画がかかっているかのような演出は、まさに庭をアートとしてとらえたといえるだろう。

 「歓迎の庭」「寿立庵の庭」「苔庭」「枯山水庭」「池庭」「白砂青松庭」など、全部の庭を見て、確かに美しい庭がここにあるし、季節が変われば、また日によって、時間によっても庭は表情を変える。まだまだしばらく眺めていたいし、違う季節にも来てみたいとも思う。ただ、僕の心の奥底には、米国の雑誌で日本一というランクをもらったかもしれないが、日本人が選ぶ庭でもここが日本一となれるだろうか? という疑問が渦巻いている。

 ここの庭は日本人が選んでもまちがいなくベストテン入りはするだろうが、果たして一位に輝けるだろうか? 素晴らしい庭であることには間違いないのだが、僕には、日本人の心の扉をぐぐっとこじ開けて入って来る何かが足りないような気がしてならないのだ。それがなにかとずっと考えていたのだが、日本独特の精神「侘び寂び」。心の中でご~んと鐘の音が響くような印象が欠けていることが残念に思えてしまったのは僕だけなのだろうか?

もうどこにカメラを向けても、きちんとした絵になってしまうというのはすごいこと。あとはどのように切り撮るかだけを考えればいい。手前の石をひとつのポイントにして、緑が主張する庭を表現してみた
【撮影データ】
キヤノンEOS 5D markII、レンズ:キヤノンEF24-70mm F2.8L USM、シャッタースピード:1/250秒、絞り:f8、ホワイトバランス:オート、ISO感度:1600
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