まさに猪突猛進のなせる技

飛び石の配列、手前の白砂、そして何気なく咲くつつじの花。これまた日本画の世界のようだ。画面半分を白砂、半分を点在する飛び石、そして濃いピング色に咲く花をワンポイントに配置する構図で、こちらも日本画のような作品にしてみた
【撮影データ】
キヤノンEOS 5D markII、レンズ:キヤノンEF70-200mm F2.8L USM IS、シャッタースピード:1/3200秒、絞り:f3.2、ホワイトバランス:オート、ISO感度:1600
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 「う~ん、こりゃぁ手入れが行き届いた庭だねぇ。ここまで手入れするには、ここに入っている庭師の人たちもきっと大変だと思いますよ」

 どこからともなく現れた造景。僕が撮影している合間に、あちこちとこまねずみのように見て回ってきたらしい。

 「それとなんといっても、ここの庭の石と松がいいねぇ。オーナーが必死に探してきたに違いない」

 こう言って、まるでロダンの考える人のように立てたひじのこぶしにアゴを乗せていた造景。さすがに本職は見るところが違う。

 「豊さん、ここの松には男松といわれる黒松と女松と呼ばれる赤松が、まるで男と女を対比するように配置されているんですよ。しかもここまで松をきれいに見せるには、丁寧な手入れが必要なんです。ここはとんでもない数の松がありますから、それこそ松の手入れの時期には相当な人数の職人が入るはずです。松葉を整えるには、黒松は6月に、赤松は8月に手入れするんですけどね、葉の長さそろえるのと、前の年の葉がべろんとたれてくるのを一つひとつ手でもみあげて取っていくんです。とてつもない作業ですよ。あと、とにかく石が素晴らしい。石には石の人生があるというか、何百年何千年と過ごしてきた生き様みたいなのがかもし出されるのですよ。それらをいろいろな方向から眺めるだけでも、あっという間に1日がたってしまいそうですよ」

 ときどき造景は、詩人のようであり、哲学者のようであり、また多くの修行を積んだ僧侶のようなことを言う。それが本心からにじみ出てきたものなのか、それともパフォーマンスなのかは分からない。でも、どちらの造景であったとしても、こんな言葉を何気なくポロリとつむぎだすときの造景が僕は好きだ。

とにかくいたるところに被写体はある。青竹と生長し続けるたけのこ。この造形的な面白い対比などは、いくら優秀な庭師が入ったとしても、さすがにたけのこのくねりとした伸びざまなど、つくりだせない味なのではないだろうか。縦位置でカメラを構え、カメラをさらに少し斜めにして、不思議な感じを演出した
【撮影データ】
キヤノンEOS 5D markII、レンズ:キヤノンEF70-200mm F2.8L USM IS、シャッタースピード:1/50秒、絞り:f8、ホワイトバランス:オート、ISO感度:1600
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 このとき、僕は確かにキレイな松であり、赤松と黒松の違いと配置の巧妙さは分かった。それと造景のいう、石に表情があることまでは理解できた。しかし、残念ながらそれ以上のことは分からなかった。

黒松が絶妙な位置から生えていると造景は感心していた(画像クリックで拡大)

 時間が経過し、足立氏の自叙伝を読んだときに、この造景の言葉が突然よみがえってきた。足立氏は日本画や美術品の収集に力を注いだが、庭造りにも執念を燃やした。この島根の美しい自然を利用して、なんでこんな田舎に……と思わせるような、日本一の庭園を造ってみせる。

 この意思が芽生えたら猪突猛進。社員旅行で行った能登の和倉温泉の旅にも逸話がある。途中の急行列車の窓から見つけた松を途中下車して入手。美術館には現在約900本の松があり、そのうちの800本が赤松なのだが、その赤松はすべて能登産。松に詳しい気に入った業者を見つけ、トラックで十数回も運んだというのだから半端ではない。

 また、庭園に配置されている石は、中国山地の山沿いの町・岡山県新見市を流れる小坂部川(おさかべがわ)から運んだとされる。中国山地は石の産地として名が知れており、風雪をくぐりぬけてきた自然石の風合いは、濡れればその奥深い色合いを呈し、乾けばまた別の表情を見せる。庭園にはなくてはならない存在感と重量感とをかもし出しているのだ。

これからどうなるかを予想しながら植えるのだから庭師はすごい(画像クリックで拡大)