小学生の頃、同級生の家に遊びに行くと、10歳年上のかなり迫力のあるお姉さんが、いつも爆音でヘビメタを聴いていて、それが私のメタル体験の最初だった。86年くらいだったろうか。

 ベーシストのカレシと一緒に、当時流行っていた「ジャパメタ」風のバンドでキーボードを弾いていて、作詞用のノートには、「弾丸」だとか、「稲妻」だとか、「叫び」だとか、物騒で刺激的な言葉がこれでもかというほど並んでいた。

 ある時、近所の商店街に遊びに行く相談をしていると、自転車じゃ遠いだろうからと、親切にも車で送ろうと言ってくれたのだったが、いつも家の前に駐まっているダークな雰囲気のシャコタンを見ていた私は、遠慮するフリをしながら精一杯丁重に辞退した。

 それからしばらく、送る、いや、結構ですと押し問答をしているうちに、段々と彼女の機嫌が悪くなってきたのを見て、「じゃあ、スミマセンけど、お願いします。」と腹を括ったのだったが、いつも、その運転がいかにデンジャラスかを力説していた友人は、同意してしまった私を、唖然としたような顔で見ていた。

 車に乗ろうとしたところで、彼女の母親が飛んで出てきて、

「あんた、ヨソサマの子乗せるんやけ、気をつけなさいよ! 事故起こしてケガでもさせたら大ごとよ!(北九州弁)」

 と声をかけた。それに彼女は、

「大丈夫。事故にあったら即死やけ。(同)」

 とおかしそうに笑っていた。

 実際は、それほど荒っぽい運転でもなかったが、エンジンをかけるなり、ものすごい曲が流れ始め、しかもそれがよほど気持ちいいのか、曲が終わる度にテープを頭出しして再生し、結局、目的地に着くまで五、六回は聴いていたと思う。それが、ラウドネスの「イン・ザ・ミラー」だった。

 運転しながら、彼女は、今時の流行の音楽がいかにダメかを苦々しげに語った後に、日本人のバンドで聴くに値するのは、VOWWOWや44マグナム、アンセムなど極僅かで、その中でも、何と言ってもラウドネスだと、熱心にというよりも、ほとんど切々と語り続けた。ラウドネスだけが、唯一世界に通用するバンドで、実際、前作の『THUNDER IN THE EAST』は、ビルボード・チャートのトップ100にランクインされている(自分は、もっと前のアルバムの方が好きだが)。全米ツアーをやって、アメリカ人のプロデューサーともアルバムを作っている。高崎晃は、日本一ギターがうまく、樋口宗孝は日本一ドラムがうまい。……

 樋口宗孝が、まだ49歳という若さで亡くなったというのを、音楽好きの友達からメールで知らされ、その後、ブログ検索やYoutubeのコメント欄などで追悼の言葉を見て回りながら、私はその二十年以上も昔のあの友達のお姉さんのことを思い出した。

 今考えてみても、ふしぎなのだが、80年代のメタル・ブームの洗礼を受けた人たちは、彼女に限らず、恐そうな見た目と音楽を愛するピュアな心とのギャップが激しく、完全なメタル依存症で、いさぎ良いほどに偏っていて、排他的で、他の音楽ではどうしても「ダメ」だと感じていて、楽器の練習に関しては、恐ろしいまでにマジメで、真剣だった。それは、偏差値高めの国立大学や医大などで、ファッションにはあまり関心のなさそうな服装をしている地味な学生が、聞くと熱烈なメタル好きという、これまたよくあった例とも相通じるギャップだった。

 何かの記事で、高崎晃が、指から血が出るまでギターの練習をして、切れた指先をアロンアルファでふさいで、また練習したというような逸話が紹介されると、それに憧れて、本当に血が出るまで練習したという人が何人もいたし、小学六年の終わりにギターを買った私も、そういうものだと思い込んでいた。そのストイックさは、ベンチャーズやビートルズのブームの頃とは恐らくまったく違っていて、モテたいというヨコシマな動機からはほとんど無縁で、第一、女性ファンばかりのバンドなど、妙な話だが、女性のヘビメタファンでさえ評価しなかった。

 エディ・ヴァン・ヘイレンとイングヴェイ・マルムスティーンとの登場をきっかけとして、一気に加速したヘビメタのハイテク・ブームは、ポピュラー音楽史の中でもかなり特異な現象だろう。純粋に音楽史的な観点から語るだけでなく、60年代後半から急速な伸びを示していたレコード及びヴィデオやCDの普及、それをフォローする音楽雑誌やタブ譜付の楽譜の出版、MTVの登場といった視覚、聴覚双方のメディアの充実、楽器メーカーの多様化と低価格化、イメージ戦略など、リスナーがミュージシャンを真似て演奏するようになるための環境の整備は大いに寄与したはずで、更に、なぜ日本では関西でブームが発祥したのかとか、当時、社会的にどういう人たちがメタルにハマッていったのかとか、調べれば、『メタル・ヘッドバンカーズ・ジャーニー』が取り零したような興味深い社会学的な事実が次々と出てくるだろう。関西では、明らかに70年代末からのパンクブームへのリアクションがあったはずだが、ではなぜ、彼らは例えば、ブラックミュージックではダメだったのかとか。

 19世紀半ばのロマン主義時代のピアノや、ハードバップ時代のサックスやトランペットなど、歴史的に、演奏技術の目的的な追求が突然ブームになる時期はどんな楽器にもあるが、メタル・ギターの場合、速弾きのためのスケール・トレーニングに寝食を忘れて孤独に没頭し、ノイジーなディストーション・サウンドながらもノイズ系とは対極的なかっちりとした演奏を追求していた一方で、コード進行やハーモニーといった楽理にまつわる知識欲は極端なまでに乏しかった。驚くべき高速フレーズやタコのように複雑な両手タッピングを楽々とこなしながら、ソロは大体キー・スケール一発で、7thコードやブルース進行も知らないというようなギタリストは、全然珍しくなかった。