第1回東京ゲームショウが開催されてから、今年でちょうど10周年。そこでこの10年、第一線で活躍されてきた各クリエイターに、「ゲーム業界の10年」をテーマにお話をお聞きしました。ぜひお楽しみ下さい。

 二人目はセガのクリエイティブフェローを務め、プロペの社長でもある中裕司氏。「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の作者として世界に知られる中さんが語る、テレビゲームの過去・現在・未来とは?


10年前、プログラマーからプロデューサーに転身

ゲームプロデューサーとしてこの10年で30~40本の作品にかかわってきたプロペの中裕司氏

――今から10年前は何をされていましたか?

中裕司氏:セガサターンで「ナイツ」を発売した年で、年末には「クリスマスナイツ」も出しました。これらはメインプログラムを組みましたが、そこで僕のプログラマー人生は終了。ちょうどプロデューサーへ転向しつつある瞬間でした。

――以降はプログラムは組んでいない?

中氏:メインプログラムはやってないですね。デバッグに付き合ったりする程度。会社的にプログラムを自分で組まずに面倒見てれば大ヒットをバンバン飛ばせるんじゃないかと期待され、「面倒だけ見てくれ、何本も」という流れに乗せられてしまった。「プログラムをやりたい」って言ってもやれない状態になってしまったんですね。

 10年前あたりで、ゲーム業界としても、僕自身としても、マーケット的なことを考えてとか、お客さんのことをより考えて物を作っていく時代に入ってきたのかなという気がしていてます。それまではお客さんの方を向いているゲームが、それほどなかったんじゃないかなと思うんです。

――「クリスマスナイツ」は非売品ですよね。

中氏:ワールドワイドで130万本ぐらい出したんですが、タダです。送料分いただきましたが、セガ側には1円も入ってない。キャラクターというものをどう認知してもらうか? どう楽しんでもらえるか? ということを模索し始めていて、僕にとって大きな変革の年だと思います。以降の10年は楽しんできましたが、「ナイツ」のときみたいに、もう少し現場にかかわりたくなって、今回独立をしました。

――プログラマーからプロデューサーに転向された方って、あまり業界にはいらっしゃらないですよね。

中氏:中村光一さん(チュンソフト)と鈴木裕(セガ)と僕……そんなもんかな。あとはデザイナーとかプランナーからの転向組ですね。実際にプログラムを組んでいた方は、あまりいらっしゃらないですね。

――プログラマーの立場と大きく変わりますよね。ある意味汚い世界じゃないですけど、そこを見なきゃいけない。だから躊躇(ちゅうちょ)する人が多い。

中氏:そうかもしれませんね。僕はプロデューサーですが、基本的にディレクターと同一みたいなことをやり続けています。グラフィックやプログラム、サウンドなど、すべてのものを判断しています。通常のプロデューサーとは違いますが、売るときのことも考えたりします。総合的なことを、たくさんのタイトルでやっていくという感じです。

――通常のプロデューサーよりも、仕事がたくさんある?

中氏:細かいところまで指示が出せるので、「ここはこうやった方がいいよ」と言ってます。かゆいところに手が届かなかったりするんですけど、その間にも何百万本も売れたタイトルをたくさん手がけることができたので、会社にとっては成功だと思います。

 ゲームクリエーターとしては、もっと1本のゲームにかかわれる方が楽しかったとは思いますが、それだとこの10年で5本くらいしか作れなかったでしょう。僕はこの10年で30~40本のゲームにかかわってきて、思い出に残る作品がたくさんあります。どっちが良かったのかは、難しいところです。

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