「菊池さん、昭和44年生まれですよね?」
「ええ……」
「今度、ソフトの大会に出ませんか?」
ある日、同い年の友人からソフトボールに誘われた。屋久島ではどういうわけか、ソフトボールとバレーボールが盛んだ。島の友人のほとんどは、必ずといっていいほどこれらの競技経験を持つ。鹿児島本土からの転勤者も同様であることから、どうやらそれは屋久島に限らず、鹿児島県全域に共通した事実といえそうだ。
バレーボールはさておき、興味深いのは、盛んなのは野球ではなくてソフトボールだということ。東京で過ごした少年時代、周りの友達はみんな野球をしていた。僕も少年野球にはじまり高校の部活、社会人になってからは草野球と、荒川の河川敷を「ホームグラウンド」によく嗜んだものだが、ソフトボールは小学校のクラブで少しやったことがある程度で、ほとんど経験がないに等しい。一方、屋久島では圧倒的に野球よりもソフトボール人口のほうが多く、聞くところによると、草野球チームは全島で4チームしかないのに対して、草ソフトボールチームは旧屋久町だけで30チームほどあり、ランク別にA、B、Cの3つのカテゴリーでリーグ戦を展開しているという。まさに、「所変われば品変わる」ことの典型だ。

今回僕が誘われたソフトボール大会は、「俺らが一番杯」と銘打った大会。普段のリーグとは全く別に、同級生同士でそれぞれチームを結成し、どの年代が一番かを争うというものだ。昨年の秋からはじまった大会で、春と秋の2回行われ、今回で3回目を迎える。「昭和44年生」チームは前回大会では準優勝。そのときの優勝チームは「昭和47年生」で、第1回大会から2連覇している強豪だという。
それはともかく僕はというと、かれこれ3年ほどボールを握っていない。屋久島への移住を機に所属していた草野球チームを引退し、それ以来野球から遠ざかったままだった。当時の感覚を取り戻せるか不安だったが、久しぶりにバットとグローブを手にしたい気持ちがあったのと、よそ者の僕としてはどんな人たちが同い年なのか気になるところでもあったので、実家に置いてきたグローブやスパイク、ユニフォームなど、用具一式を急遽取り寄せ、僕も参加させてもらうことにした。




