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新緑の記憶

2006年4月24日

屋久島は今、新緑が美しい。島全体が最も輝きを放つときだ。1年前、この島に移住して来たのもこの季節。四季をひと通り暮らして、再び思い出深い季節が巡ってきた。

里から前岳の山々を仰ぎ見ると、こんなにもたくさんの緑色があるのかと驚かされる。明るい黄緑から深みのある濃緑まで、緑のグラデーションがつくり出す自然の色合いは美しい。それだけではない。木々の青々とした匂いが鼻の奥をくすぐる。新たないのちを感じる匂いだ。この色と匂いは、僕たちがこの島に暮らしはじめた頃のことを思い起こさせる。感覚と結びついた記憶は鮮明だ。

移住して来たばかりの頃にも、新緑を眺めによく訪れた、お気に入りの渓谷がある。特に天気のいい日には、山の緑が眩く、川の水もエメラルドグリーンに輝く。まさに緑だけで構成される世界が広がる。そこは渓谷といっても、海から直線距離にしてわずかに2kmと離れていない。すぐ下流では川幅も広くなり、安房の町中をゆったりと流れると、あっという間に海へと注ぐ。屋久島は海と山が密接につながっている。だから海のそばでも、山奥のような風景に出合えるのだ。

ある日、息子を幼稚園に迎えに行くついでに、カメラを持ってお気に入りの渓谷を見に行った。前に住んでいた家からだとすぐの場所なのだが、引っ越してから少々遠くなってしまった。4月になってから、何か用事がある度に、少々遠回りをしても、刻々と変わりゆく緑を眺めに、ここを訪れていた。

深い谷に架かる橋の上にクルマを停め、はるか下を流れるエメラルドグリーンの安房川を覗き込む。川面まで70〜80mはあろうか。バンジージャンプを思い起こさせるほどの高さだ。細くて深いV字谷の両岸には、まるでブロッコリーのようなモコモコとした照葉樹の森が広がる。上流は繁茂する森に吸い込まれるように、左にカーブを描くとすぐにその姿を隠してしまう。

「あの先には、どんな風景があるんだろう…」。ぼんやりと思いを馳せていると、谷の奥から吹き抜けてくる、少し涼やかな春の風が、僕の肌を撫でる。風にのってくる青い匂いは、ほんのりと甘みすら感じる。鳥の清らかな澄んださえずりに耳を傾けていると、「キッキィッー」というヤクザル()のだみ声が、突然割り込んできた。この森のどこかで、仲間同士のケンカでもはじまったのだろうか…。

自然の奏でる様々が、五感のすべてをやさしく刺激する。

「あのときと同じ、柔らかい空気感だ…」

僕はこの島に暮らしはじめた頃のことを思い出しながら、改めてこの島に暮らす幸せを感じていた。この季節の、この空気感に包まれる度に、僕はきっと、そんなことを感じるのだろう。「おっと、うっかりしていた。子供を迎えに行かないと…」。なんでもない、ある日の午後の出来事だった。

屋久島だけに生息するニホンザルの亜種。ニホンザルと比べて小柄で、手足の体毛が長く粗いのが特徴。

菊池 淑廣(きくち・よしひろ)

1969年、東京生まれ。1993年にスポーツウェアメーカーに入社。一貫して広告宣伝の仕事に携わり、自ら撮影、コピーライト、デザイン制作までマルチにこなす。

2005年4月、家族共々屋久島へ移住。それと同時に広告事務所「屋久島メッセンジャー」を設立し、雑誌やウェブサイトなどを通じて屋久島の情報を発信しながら、広告プランニング、撮影、コピーライト、ロケ・コーディネートなど、幅広く活動している。著書に「屋久島で暮らす あるサラリーマンの移住奮闘記」(山と溪谷社)。

ブログ「フォトライター菊池の屋久島移住ライブ日記」も公開中。

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