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山の中の小さな春

2006年3月6日

いよいよ3月。南国屋久島には、まだ冬と春が共存している。里では菜の花やアオモジなどが、あちらこちらで春の様相を呈し、南部の温暖な地域では、山桜も咲きはじめている。前回「木の芽流し」について話をしたが、今もまだ続いている。我が家から見える前岳の、冬の間は濃緑だった山々が、少しずつまばらに、新緑の明るいグリーンに上塗りされていく。毎朝どれだけ塗り進んだか、確認するのが楽しみだ。

一方、山へ入るとまだまだ冬の空気感が漂い、山頂帯には雪が溶け切らないまま、寒々とした白い風景を残している。それでも小さな春が見つけられないかと、いつもの森を歩きに行った。ところが、そんな日に限って寒くなるもので、強い冬型の気圧配置により、それまでの暖かさが嘘のように、里も山も一転して冷え込んだ。前日の天気予報では晴れのはずだったが、里にはパラパラと、冷たい雨が落ちていた。

標高600mほどの森の入口までやって来ると、山は一段とどんよりしていた。クルマから降りると、思いのほか寒い。冬に雪の森を見に来たときと同じ空気感だ。それもそのはず。いつの間にか、雨は雪に変わっていた。

この日の僕のお目当ては、「オオゴカヨウオウレン(大五加葉黄蓮)」。キンポウゲの仲間で、屋久島だけに見られる固有種だ。特徴的な葉はよく目にしていたが、花を見たことはまだなかった。可愛らしい小さな草花で、森の中の苔むしたところに、苔たちと一緒になって、よく紛れている。屋久杉の巨木が立ち並ぶ壮大なスケールの森では、うっかり見落としてしまいそうなほどに小さい。2月の中旬頃から白い花を咲かせ、島の人はこの花が見られるようになると、春の訪れを感じるそうだ。

小雪が舞う中、さらに冷たい空気の行き交う沢沿いの道を、歩き始める。入口から間もない場所にある苔むした樹肌に、たった一輪、それは咲いていた。ほんの小さな空間にも、雪と小さな白い花、冬と春が共存していた。もっと山の上にも、小さな春は訪れているだろうか。好奇心のおもむくまま、さらに歩を進める。

標高900m付近まで来ると、大きな杉の枝から小さなつららが垂れ下がり、森の所々には、薄っすらと雪が白く残っている。もはや完全に春の気配は消え失せたかに思えた。いつの間にか雪は弱くなり、時おり薄日が森に射していた。日当たりのよい開けた場所に、苔むした切り株があった。うっかり通り過ぎようとしたその時、パッと白く咲いたオオゴカヨウオウレンが、僕に気づいてくれとばかりに、吹きぬける風にフルフルと小刻みに揺れ、陽の光を反射していた。まだ雪の舞う森でも、小さないのちは力いっぱい、小さな春を咲かせていた。

里では春が足早に訪れ、せわしくたくさんの花を一斉に咲かせている。山の上の森では、冬の名残と春の気配が行ったり来たりしながら、花を一輪一輪、そっと目覚めさせ、春はゆっくりとその訪れを告げていた。

菊池 淑廣(きくち・よしひろ)

1969年、東京生まれ。1993年にスポーツウェアメーカーに入社。一貫して広告宣伝の仕事に携わり、自ら撮影、コピーライト、デザイン制作までマルチにこなす。

2005年4月、家族共々屋久島へ移住。それと同時に広告事務所「屋久島メッセンジャー」を設立し、雑誌やウェブサイトなどを通じて屋久島の情報を発信しながら、広告プランニング、撮影、コピーライト、ロケ・コーディネートなど、幅広く活動している。著書に「屋久島で暮らす あるサラリーマンの移住奮闘記」(山と溪谷社)。

ブログ「フォトライター菊池の屋久島移住ライブ日記」も公開中。

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