屋久島の森にある木は、ケタ外れにデカいものが多い。スギに限らず、モミやツガなどもやたらと立派だ。とはいえ、主役はやっぱり屋久杉だろう。この島では、樹齢千年以上のものを屋久杉と呼び、それ未満は小杉と呼ぶ。千年もの年輪を重ねて、やっと一人前というわけだ。
この島には樹齢数千年もの屋久杉が、森のあちらこちらで圧倒的な存在感を放っている。「この木は二千年、あの木は三千年…」などと聞いていると、だんだんと感覚がマヒしてくるのだが、紀元の遥か前からその場所で生き長らえているのである。なんとも気の遠くなるような話だ。

「縄文杉」は言うまでもなくその代表的な存在だが、僕はなぜだか、「仏陀杉」が気になって仕方がない。「仏陀杉」が鎮座するのは、「ヤクスギランド」という巨木が多く立ち並ぶ自然休養林の奥深いところ。移住前、離島への引越しという一大イベントに不安がる子供たちに、「屋久島にはディズニーランドはないけど、ヤクスギランドがあるんだぞぉ〜!」と半分詐欺のようだが、そう言って不安を和らげてあげたその場所だ。
推定樹齢1800年という「仏陀杉」は、屋久島においては、やっと「長老組」の仲間入りをしたくらいだろうか。高さも太さも、他の長老たちに比べると少々小柄だ。あくまでも比較論においては「長老組の新入り」なのだが、幹はすでに空洞化し、ずいぶん衰えているという。
僕が彼に惹きつけられる理由は、その風貌からにじみ出るオーラのようなものを感じるからだ。衰えているとはいえ、ボコボコになったその幹から発せられる、強烈な存在感…。殊に心をも奪われるのは、少し見上げた辺りにぼっこりと大きく突き出たコブ。それは何処となく悲しげな表情をした顔にも見える。まるで彼に宿る木霊が、自らの姿をメキメキと具現しているかのようだ。僕たち人間に何かを訴えるかのように。
「彼がこの世に生を受けたとき、この森はどんな風だったのだろう…。彼はずっと同じこの場所で、遷り変わるこの森の風景を見てきたに違いない…。芽を出してから途方もない時間を経た現在、ずっと根を下ろしてきたこの森、この島、そしてこの地球について、彼は何を思うのだろう…」
彼のその悲しげな表情を見上げていると、なんとなくいつも、そんなことを考えてしまう。
そういえば、彼のところへ行くときは、なぜかいつも雨が降る。屋久島の気候を考えれば当然かもしれない。単なる偶然だ。でも、先週も彼を訪ねたとき、彼の元に辿り着く数十メートル手前で、ザーッと雨が森に降りそそいだ。そして雨に濡れた彼の前で、いつものイメージが僕の頭の中に降りそそぐ。そのイメージがスーッと消えていくと、次の瞬間、森には陽の光が降りそそいだ。不思議なものだ…。
移住して数カ月が経ち、最初は怒っていた我が子らも、今となっては「ヤクスギランドへ行くか」というと、本当の意味で喜ぶようになった。今度は家族みんなで、長老のところを訪ねてみようか。






