
カロッツェリア・ギアのチーフデザイナーであったジウジアーロがデザインしたスタイリッシュないすゞ117クーペ
スタイリングにおいて伊コンクールで大賞を受賞
1960年代のわが国産車は,発展途上,いろいろな可能性と課題とを持っていた。各社がブランドとしての個性を定着すべく模索していたというところだった。
トラック,バスなどの大型車メーカーから乗用車へと業務拡大をしてきたいすゞは,戦後間もなくはトヨタ,日産と並ぶ「御三家」に数えられていた。英国ヒルマン車のノックダウン,独自の技術でまとめあげた中型車ベレル,小型車ベレットと送り出すが,どちらかというと技術志向が強く,トヨタ,日産のヒット作,コロナ,ブルーバードの時代になると,それらよりひとつ出遅れた感は否めなくなっていた。
そうした状況下でいすゞは1966年のジュネーブ・ショーに,突如として1台のプロトタイプを発表する。のちにいすゞ・フローリアンとして発売される「117」サルーンのスポーツ版ということで,いすゞ117スポーツと名付けられたそれは,まだ欧州では無名だった日本ブランドを注目させたばかりか,その年のクルマのスタイリングの美しさを競う章典,イタリア国際自動車コンクール・デレガンスで「大賞」を与えられる。それはわが国でも少なからず話題となり,その年の東京モーター・ショーで大きな人垣をつくることになるのだった。





