去る5月26日から27日にかけて、息子が通う栃木県立大田原高校では名物行事の「強歩」が行われた。1年生から3年生まで800名弱が参加して、25時間ぶっ通しで85キロを歩き切るというこの行事は、今年で20回目を迎える。朝の10時に学校を出発して、徹夜で歩き通し、翌日の午前11時過ぎに帰ってくるのだが、最後の方はみんなヨレヨレの状態だ。
親も涙ぐむ一大イベント
馬頭町に移住してきた3年ほど前に、大田原市内で偶然その光景に出会って、「なんだろう?夢遊病者の集団かな」と家内と話したことを覚えている。後で、強歩という行事であることを教えてもらったが、その時はまさか息子が参加することになるとは思っていなかった。
基本的に体育会系である私は、こうした行事には大賛成である。生徒も大変だが、先生や父母たちも大変だ。ほぼすべての生徒の父母たちは、休憩所での炊き出しや、真っ暗な夜道で懐中電灯を振りかざしての誘導、救護班や見回り部隊などにかり出される。今回、家内は山肌の迫った暗い道に、大型の懐中電灯を持って、深夜の誘導に立った。
「暗い道」と言っても、都会人にはピンとこないかも知れない。生徒たちはそれぞれに懐中電灯を持参しているが、ほんの目の前くらいしか明るくならない。1年は赤、2年は緑、3年は青というジャージの色でさえ、簡単には判別がつかないくらいだ。
通り過ぎる生徒たちに「ガンバレー」と声をかけていた家内は、暗さゆえに息子が通り過ぎたのを見逃した。その声に気付いた息子が、逆に家内を探し当てたという具合だった。

ゴール地点では、「限界の先は無限大」と書かれたなんとも大きいノボリとともに、父兄が出迎える。
翌日、校門のあたりには、到着予定時刻の1時間以上も前から、父母たちがあふれかえっていた。背後には「限界の先は無限大」と大書されたノボリがはためいている。親たちもちょっとした興奮状態で、次々と帰ってくる子供たちに「お帰りー」と声をかけ、なかには涙ぐんでいる人さえ見受けられた。
子供たちも、最後くらいは何とかシャンとしてゴールをくぐろうとしているが、ほとんどの者が足を引きずったり、身体のアチコチの痛みに表情をひきつらせていた。
息子の感想は「こんな辛い目に遭ったのは初めてだ。途中で30回くらい止めようと思った。自転車で1日200キロ走った時よりキツかった」「途中に一カ所だけあった歩道橋はエベレストに見えたから」というもの。
「友だちは?」と聞くと、「眠りながら歩いていて電柱に激突したヤツもいたけど、笑う余裕もなかったなあ」「みんな死にはぐっていた」という。標準語で言えば「死にそうだった」ということだ。
それでも、大田原高校の卒業生に尋ねると「最高の思い出は強歩」という答えが多い。なかには「もう一度やってみたい」という強者もいる。今年も「完歩率」は90%を楽に越えた。
大田原高校には「三冠王」と呼ばれる非公式のタイトルがある。3年間無遅刻無欠席、3年間強歩を完歩、3年間寒稽古に全参加──これを達成すると「三冠王」の称号が与えられる。寒稽古は、1月中旬の1週間、毎朝6時半から柔道、剣道、弓道、10キロマラソンのどれかに参加するというものである。いやはや、今から先が思いやられる。もっとも、毎年100人以上の三冠王が誕生するというから恐ろしい。

大田原高校名物の「強歩」のゴールシーン。精一杯の足取りを見せる生徒たちは、疲労困憊ながら達成感に浸っている。
教育委員長はアナウンサー
創立103年を迎える大田原高校の校訓は「不撓不屈にして質素剛健」である。悪くはないが、なんとも古めかしい。栃木県全体の教育環境が保守的であるとも感じる。
この春まで息子が通っていた馬頭中学では、毎日午前8時25分になると君が代のメロディーが流れ、生徒は自分の席で校舎屋上に掲げられる日の丸に向かって直立しなければならなかった。その時までに、席に着いていないと遅刻になるそうだ。最初、息子は「ここは軍国主義かー」と冗談とも本気ともつかず言い放っていた。
栃木県は、高校も「男女別学率が全国3位」という有難いんだか、有難くないんだか、よく分からない状態にある。大田原高校も男子校である。女子の応援もないのに「85キロ強歩」など張り合いがないではないか、と思うのは私だけだろうか。
さすがに、栃木県でも教育改革が進められており、今後は男子校と女子校を併合して共学の高校を作ったり、中高一貫の公立学校を設けたりする計画が持ち上がっている。
栃木県の教育委員長は臼井佳子さんという気のいいオバサンである。実は、本業はフリーのアナウンサー。今年の一月、臼井さんが担当しているラジオ番組に、私が呼ばれたのが知り合ったきっかけだ。その番組では、田舎暮らしのことを1時間ほど話させてもらったが、迂闊にもその時には臼井さんが栃木県の教育委員長だとは知らなかった。
後日、再会した時に知って驚いた。だが、教育委員長に素人のフリーアナウンサーを据えたあたりにも、教育界に新風を吹き込みたいという意欲が感じられる。ご本人も、「そういうことだろうと思って引き受けた」と言っていた。
その臼井さんいわく「よく父兄の方が学校に、新しくこんなことをして欲しいとか、ここを変えてほしいとか言うと、学校側から教育委員会がOKしませんからと断られたりするでしょ。でも、それはウソです。9割とは言わないけれど、7割は実現できることばかりです」と。
栃木の教育界にさらなる新風が吹くことを楽しみにしている。
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徹夜の85キロ強歩 from SSAW
[日経BP] 徹夜の85キロ強歩
去る5月26日から27日にかけて、息子が通う栃木県立大田原高校では名物行事の「強歩」が行われた。1年生から3年生まで800名弱が参加して、25時間ぶっ通しで85キロを歩き切るというこの行事は、今年で20回目を迎える。朝の10時に学校を出発して、徹夜で歩き通し、翌日の午前11時過ぎに帰ってくるのだが、最後の方はみんなヨレヨレの状態だ。…(中略)…息子の感想は「こんな辛い目に遭ったのは初めてだ。途中で30回くらい止めよ�... [続きを読む]





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今春北海道新聞の編集部に勤めていた息子が有機農業をやるといって退職、就農しました。大阪出身なのに北海道大学に進学、道産子を奥さんにもらって、最後は北海道の土を相手の生活には一抹の不安を感じておりますが、30歳の息子の選択ですし、自己責任でもあります。非常に良く似た環境なので毎号コピーをとって北海道に送っております。「組の掟」については類似のことがあるそうで、頂戴するものについて絶対に断ってはならないということが大変参考になったようでした。毎回楽しみに拝読しております。
85km????に釣られて記事を拝見しました。
なんと母校の名物行事についてではないですか!!!!
小生は生徒会長をしていたので、幸か不幸か先頭を歩き3年間完歩しました。
#三冠王は通学に使用していたバイクの故障でヒッチハイクして学校に到着しましたが、5分遅刻していて実現しませんでした・・・・・
女子の応援も無く・・・というくだりがありましたが、実はそんなことは無いと思います。ゴール直前には大田原女子高前を通るルートになっていて、大田原女子高の好意で一部のクラスは授業を中断して沿道に出て応援してくれました。(10年以上前のことですが)
校訓は校歌にもあるように「質素堅実」(創立90周年当時)だったのですが、若干変わったのでしょうかね?
男子校なのに卒業生の同窓会運営も熱心で、卒業10年毎に同窓会主催の「10年会」というクラス会のようなものがあります。
男だけであつまったって偶然の再会・・・のような淡い出来事は無いですが、男子校であるがゆえに適度な距離感を踏まえたつながりということでこれまた名物だと思います。
楽しく記事を読ませて頂きました。ありがとうございました。
今から約40年前になりますが、早稲田大学の100キロハイクという今では名物行事となっている本荘・早稲田大学間を24時間徹夜で歩ききる行事に参加、最後の集団でぎりぎり大隈公園に滑り込み、都の西北の合唱に間に合った記憶があります。まさかと思うでしょうが、あの時は足が硬直し、歩道の段差が這い登るような高さに感じました。この大田原高校の学生の「歩道橋がエベレストに見えた」の言葉に涙が出るような共感を持った次第。このような高校がまだあることに日本の明日が楽しみとなりました。頑張れ、大田原高校生!
臼井佳子さんって、30年くらい前(年がバレちゃいますね、すいません)に札幌でアナウンサーやってた臼井さんですか!?
いや、懐かしい。
いま、県の教育委員長やってらっしゃるのですか。素晴らしいですね。
確か、深夜の「臼井佳子のアタックヤング、眠ってる人はかじっちゃうぞ〜」という感じでしたよね?
毎回楽しみに拝見しています。馬頭町にとっても県にとっても産廃処分場は必要なものでしょうけど、残された自然との共生を図るのが人間の知恵と思います。県外から勝手な言い分ではありますが備中沢を残していただけますよう頑張ってください。
大田原高校の強歩の記事も面白かったです。息子さんは大変でしたでしょうけど・・・私も高校生1年生のときに強歩大会をしましたが、こんなに長い距離と時間ではありませんでした。
懐かしくいい思い出として記憶しています。