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馬頭町がなくなった日

2005年10月6日

ついに、馬頭町が消えてしまった。去る10月1日をもって、馬頭町は隣の小川町と合併して、那珂川(なかがわ)町に生まれ変わったのである。

確かに、那珂川を挟んで隣り合っていた馬頭町と小川町が一緒になったのだから、「那珂川町」でいいのかも知れないが、「馬頭町」という名前のインパクトに比べれば、だいぶトーンダウンした感は否めない。おまけに、福岡県に全く同じ「那珂川町」があるというのだから、なにも好き好んで二番煎じに甘んじなくてもいいじゃないか、と思ってしまう。

那珂川を挟んで小川町を望んだ風景

大合併で行政サービスは…

まあ、新参者の愚痴はこのくらいにしておいて、その新しい那珂川町である。人口は2万1000人。面積は193平方キロメートル。面積でみれば、東京都の千代田区と中央区と港区を合わせた広さの4.6倍もあり、ほぼ大阪市に匹敵する。

ほとんどは山林とはいえ、結構山深い地域にも集落が点々とあるから、ひとつの町としてまとまるには、かなりの日数を要することだろう。そもそも馬頭町だって、1954年(昭和24年)に武茂(むも)村、大内村、大山田村、馬頭町の4町村が合併して誕生したものなのだ。いわゆる「昭和の大合併」である。

この度は「平成の大合併」だ。栃木県でも現在までに市町村の数は2割ほど減って、40市町村になっている。本来、地域の行政区域は小さければ小さいほど、住民の意向も反映されやすく、住民サービスもきめ細かくなされるはずだ。

ところが、国の懐具合が悪くなって、「これまでのように地方の面倒を見られないから、財政基盤の弱い市町村は合併して生き残る方策を見つけなさい」という具合になった。

町役場も「住民サービスが落ちないように努力する」とアピールしているが、小川町の役人に馬頭町の話を持ち込んでも、ピンとこないのではなかろうか。逆も同じである。

これまでなら、「○○というところの○○さんで、こんなことが起きて困っている」と言えば、役場の人たちは、その本人のことから周りの事情まで承知していて、「ああ、それなら、△△さんにお願いしとくから」とか、「こんな具合にやったら大丈夫だ」とか、現地を知り抜いているからこそ迅速な対応が取れていたように思える。

少なくとも、那珂川町の行政サービスが、そのようなレベルに達するには、しばらくかかるだろう。いや、達しないかも知れない。やはり、ひとつの町というには、広すぎる。

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