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第4回 ギニア人が、伝統の味にこだわる2つの理由(前編)

2007年10月16日

ノンフィクション作家=島村 菜津氏


深刻な砂漠化が人々から笑顔を奪う

モーリタニアからマリに入ると、砂漠の風景は、潅木がまばらに生えるサヘルに変わり、サバンナでは、ところどころに牧草も見えてきた。そしていよいよ、ギニアの国境にバスが近づいた時、何日かぶりに木陰というものに再会した。

それは、20mはあろうかというマンゴーの大木だった。何本も生えていて、赤や黄の実がたわわになっている。その下に身を寄せた長い角の牛の群が目を細め、そこに木漏れ日の筋が、通り雨のように降り注いでいた。1本の木が、圧倒的な迫力を持って、そこに立っていた。神々しいような眺めだった。

生き物には、木が、木陰が、必要なんだ。先ほどまで車中の熱気と振動音に閉口していた乗客たちも生き返ったようにはしゃぎ始め、窓から手を差し出す女たちからマンゴーを買い、皮のままかじり出した。見ているだけで口許が綻ぶような、幸せな光景だった。

ところが、ギニア第2の都市カンカンは、砂漠の風ハルマッタンの吹く季節ということもあって、砂埃だらけ。すぐ喉が痛くなった。

歩いているだけで、顔も、髪も、シャツも、何もかも赤くなる。シャワーで洗い流すと、耳からも鼻からも、足の指の間からも、細かな赤砂が流れ出した。町中でまで砂が舞うのは、明らかに砂漠化の影響だという。口を開けて笑ってなどいられないから、道行く人の表情もすこぶる険しい。

今年、中国から季節風にのって飛んでくる黄砂に、当地の工場地帯の汚染物質が混ざり、日本各地で光化学スモッグを発生させのではないかと指摘した人がいた。

そうなると、世界中で砂漠化が進むということは、こんな風に視界が砂で霞んで、笑えもしない日が増えるということ。あって当たり前だと思い込んでいる澄んだ空気が貴重になり、酸素商売にも拍車がかかるわけで、突如、極楽非道なエイリアンが飛来するよりもしんどい話ではないか。

ならば、アフリカや中国の森を育て、日本の荒れた山を労(いた)わることは、市場原理よりも、経済効率よりも、最重要課題であるに違いない。

眉間に皺を寄せて、砂まじりの風と共存するカンカンの不機嫌な人々は、そのことを身を持って教えてくれた。

ギニアの中西部、緑と澄んだ空気に恵まれた高原地帯、フタ・ジャロンに着いた時には、ほっとした。やっと日本人には親しみ深い、潤いのある風景の中に返ってきたのである。ところが、その熱帯雨林もまた、危機的な状況にあった。

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