大きさが“見えなく”なった記録メディア
「メモリー」という言葉は、直訳すれば「思い出」とか「記憶」といった意味である。しかし、そんな情緒的で人間くさい意味を置き去りにして、いつの間にか「電子的な記録媒体」を意味する言葉へと変わってしまったようだ。
電子的な記憶容量が、記録媒体の物理的な大きさとほぼ比例していた時代がもはや懐かしい。
磁気テープやフロッピーディスク、あるいは、つい最近まで使っていたCD……。これらにデジタル情報を書き込んでいたころは、ブンブンと回る機械の動きと、1枚、2枚という物理的な数量で、漠然とでも記憶の“実体”と“量”をつかむことができた。
しかし、メモリーカードやUSBメモリーを手にしても、その中に納まっているはずの膨大な文字情報や画像情報を想像する手掛かりすらない。
まだ、パーソナルコンピューターなどの性能がその箱の大きさで推測されたころ、中に収められた電子部品満載のプリント基板は、頭脳を象徴するものであった。その表面にプリントされた複雑な電子回路はいかにも神秘的で、計り知れない能力が潜んでいると思わせるものがあった。
それが今日では、1枚の切手ほどの薄板の中に、何GBもの情報が平然と納まってしまう――。
電子的な演算や“記憶の仕掛け”がまだしもタンジブル(目に見える)であった、たかだか数年前の時代に対して、早くもノスタルジーを感じるようになってしまったのである。
それにしても、プリント基板を集積回路やコンデンサーなどを実装する配線板以外の用途に使おうと考え付いたのは誰なのだろうか。
おそらくは1990年代前半に世界のあちこちで相次いで生まれたと思われる、ノートやバインダーなどのプリント基板を使った様々な商品は、その着想の面白さとパターンの美しさが新鮮で今でも人気が高い。







