おまけに「正義」のようなものが
この日本には、自転車に「乗れない」人が非常に少ない。誰もが必ず「自転車少年(少女)」だった時代を通ってきている。そういう人々が(しかし残念なことに)この30年の間、自転車のことを少しずつ忘れていった。興味の対象は、クルマに移り、別の趣味に移り、それぞれがそれぞれの30年間を過ごしてきたのだ。
しかしながら、どこかで忘れ得なかった「自転車の楽しさ」そして「喜び」のようなものに、火がつき始めている。それが今なのではないか。
おまけに、「エコの風」がビュービュー吹いている現代だ。様々な「自転車に乗ることの正義」がくっついてきている。エコロジーは言うに及ばず、アンチメタボつまりは健康、あるいは、アンチ原油高すなわちエコノミーなんてのまでが、もれなく付録で付いてくる。
わはは、何を隠そう、私自身がその体現者の1人なのだ。体重は17㎏も減った。毎日トラックの排気ガスにまみれて「理屈っぽいエコ野郎」になった(これはいいことなのか?)。そして、最後に財布が膨らむ(少なくともしぼむ率が少なくなった)ことになったのだから(詳細は第1回、第2回を参照)。おまけに自転車に乗ってることが楽しい。そういう41歳の秋。それが私。
とにかく中高年のある層が、気付き始めたのだ。「そうだ、自転車があったじゃないか」と。
そうそう、もう1つ、スポーツ自転車が中高年にウケている理由があるとしたら「太ももの運動能力」というのもあるかもしれない。
人間の筋肉の25%を占めるという太ももの筋肉群は、実は「最も衰えにくい筋肉」なのだ。しかも、驚くべきことに「60歳代(いや、70歳代)になっても鍛えることが可能」なのだという。これは人類にとって、太ももの筋肉というものが、それだけ「生きる」ということに直結しているからなのだそうだ。
中高年諸氏が新たに自転車を始めると、この素晴らしい事実をやがて体験として知るようになる。
「ぼちぼちやろうか」程度に考えていたはずの「自転車という運動」が、実はあまり身体の負担とならず、それどころか「まだまだオレもやれるじゃないか」となり、さらに「昨日より今日が、今日より明日が速い」という現実となっていく。ペダルの一踏み一踏みごとに若返る自分に気付く。
昨今の「草レースブーム」でいうなら、間違いなく毎年毎年速くなる自分を実感する。
結果、ますます自転車にハマッていくというわけなのだ。






