「ロードマン」の偉大な時代
今から30年近くも前「ロードマン」という自転車があった。
ブリヂストンが作ったドロップハンドル、ドロヨケ付きの、いわゆる「サイクリング車」というヤツだ。この自転車が売れに売れまくり、驚くなかれ累計150万台を記録したという。これは単一モデルとしては現在も不滅の金字塔で「同じモデル名で世界一売れた自転車」として、ギネスブックに載ってもおかしくないのだそうだ。
ジャンルでいうなら「ランドナー」という種類にあたるんだけど、この当時、各社は競い合って、この手の自転車をリリースしたものだ。「ルマン」「タムタムロード」「エンペラー」「オリンピック・ファイネスト」「シルク」「ニシキ」などなど。
ロードマンが最も流行した1982年当時のカタログ(資料提供:ブリジストンサイクル)
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私など、その名前をこうして書き出すだけで、懐かしさに涙ちょちょぎれる(この言い方が既にレトロ)思いだが、覚えていらっしゃる方は、覚えていらっしゃるだろう。そして、その人々は、必ず私と同世代か、それ以上の年代であるはずだ。いわば「かつての自転車少年」たち。
当時、これとは別に「少年用スポーツ車」というものが確かにあった。リトラクタブルライトや巨大変速ボックスなどで満艦飾(まんかんしょく)となった、これまた懐かしい自転車なんだけど(これまた覚えてらっしゃる方は覚えていらっしゃるだろう)、さすがにそういう自転車に「実用性」みたいなものはなかったな。あれはあれで確かに夢はあったけど、単に「非常に高価な子どもの玩具」に過ぎなかったとも思う。
ところが、そこから一歩進んだ先にあった「ロードマン」(もちろん「ルマン」でも「タムタム…」でも可)。これには確実に実用性があったのだ。
あらゆる自転車と比較しても、速く、長い距離が走れ、坂道をぐんぐん上ることができた。クロモリ鋼またはハイテンション鋼で出来た10段変速(前2後5)または12段変速(前2後6)。時代の中でピカピカ光り輝いていた。
ロードレーサー(そういえば当時は「ロードバイク」という言い方すらなかったな)などは高すぎて到底買えなかったから、こうしたランドナーは、我々にとって唯一無二の高性能自転車だった。
そして我々は「サイクル野郎」になったのだ。ある者はキャンピングスタイルにしテントをくくり付け、またある者はフロントバッグのみでユースホステルを渡り歩いた。
皆が「丸井輪太郎少年」だった。
あれから幾星霜。
再びやってきた自転車の時代に、当時の自転車少年たちが、皆、胸をときめかせている。
(C)Toshio Shoji(出典:『サイクル野郎』第1巻、ebookjapan)
『サイクル野郎』(荘司としお)は1974年から1982年にかけて少年マンガ雑誌『少年キング』(少年画報社)に連載された人気マンガ。主人公の丸井輪太郎が友人と共に日本一周を目指す姿に当時、多くの少年が影響を受けた
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