かつて日本住宅公団に私と同期に入社した塚本正司さんが、『私たちは本当に自然が好きか』(鹿島出版会)という本を上梓しました。自然、特に「みどり」を我々がどのようにとらえ扱ってきたか、望ましい「みどり」との関係は何か、など、持ち前の研究心と粘り強さで探求した思索の書です。今回、この稿をさらりと書き上げられなかったのは、この本の印象が深く残っていたからかもしれません。
我々が暮らしている場所は、遠く時代を遡れば人の手の入らない自然の空間、つまり湿地や森だったはずです。人間はそこを開発し農地に変え家を建て、その集積が集落に、さらには都市になりました。他の生物の棲家を奪って広大な土地を占拠している訳です。なぜ一旦追い払った自然~緑を、我々はまた必要とするのでしょうか。
人間とは身勝手なもので、利益になり都合の良いものには欲深く、直接役に立たないものは遠ざけたり価値を無視したりします。今回のテーマの「緑」や土も気まぐれな扱いを受けてきました。せっかく植えた街路樹を毎年丸坊主にするのは、その一例。
都心での生活では、「緑」との関係が希薄となり、高層住宅に至っては、住まいの周りの自然的要素がほとんど失われてしまいました。わずかな外部空間のバルコニーは、強風と乾燥で植物にとって過酷な環境です。人間の暮らしに「緑」やそれを支える土が身近になくても、本当に問題ないのでしょうか?
環境問題との関係を考えながら、「緑」と土の役割を考えたいと思います。
生活に「緑」はなぜ必要なのか
ここで言う「緑」とは、生活環境にあって我々が日常的に目にする植物全体を指しています。改めて「我々にとってなぜ『緑』が必要なのか」と自問してみると、説明は単純ではありません。
「緑」があると心が和む、癒される、と聞きます。庭の植栽は見て気持が良いだけでなく、「緑」は季節に応じて姿を変えます。芽吹き、花、濃い緑、紅葉、落葉と季節感を与えてくれるので、心を和ませる作用は確かです。しかし、そのような機能だけならば緑は住空間の添え物で、鉢植えなどで代用可能かも知れません。
一方、環境や景観の視点からは、次のような効用が説かれます。(1)「緑」は地中の水分を吸い上げ蒸散させ、地域の気候を和らげヒートアイランドを防ぐ。(2)光合成によって空気中の二酸化炭素を固定し、地球温暖化防止に貢献する。(3)街路樹の効果を例として、多様な規模・形・色をした建築物を無理なく調和させ美観を創出する。
これらを素直に認めた上で、人類にとって「緑」の本質は、命を維持するのに必須の水と食料と燃料の提供ではないか、と私は考え始めています。このように「緑」は多面的な役割を担っており、その存在理由は複合的・横断的に捉える必要がありそうです。




