建築が環境のためにやれること――
環境への感受性を表現するデザイン
京都とプノンペン。対照的な2つの都市を見ながら環境に対して複雑な思いを巡らせることになった。
僕の仕事である建築は、自然破壊の一部である。樹木や石灰岩を地球から採取し、それを人間のために(人間の都合で)つくり変えている。人はその営みを止めることはない。プノンペンでは車やエアコンはとてつもない勢いで増えるだろう。それをどうこう言う権利など、それらの装置を販売している先進国にはもちろんない。
ただその代わり、“デザイン”という手段を使って、自然に対する感受性を再認識させることはできる。例えば京都の先人達が僕らに伝えたメッセージのように。プノンペンに計画する住宅では、流れる風を感じながら食事をとることが実は豊かなことであることを、空間のデザインによって伝えることはできる。
僕らはどこかで折り合いをつけながら自然とつきあっていくしかない。その時、環境に対してかろうじてやれることは何か? 両極にある2つの都市の風景は、それを突きつけてくる。デザインは環境への感受性を表現するための、具体的な技術でありたいと、改めて思った。

プノンペンの国立博物館。クメール美術の傑作が無造作に置いてあるのがいい。中庭を囲むように、加須が通り抜ける居室が配置されている。とても気持ちの良い空間だった。





