京都の伝統的な建築様式が伝える
“自然を感じること”の大切さ
一方、プノンペンの直前に訪れた京都には、穏やかで洗練された日本の美学がつまっていた。
京都では町屋を改装した宿に泊まった。そこでは通りから中庭に抜ける、かすかな空気の流れさえ感じられた。この街に来ると、不思議なくらい環境に対して敏感になれる。京都の町屋は奥に必ず小さな庭を持っていて、それは暑い夏を少しでも快適に過ごすための工夫であると同時に、奥に光を採り込むための機能も果たしている。例えば、中庭に棲んでいる蛙の鳴声が、雨が降り始めたことを教えてくれる。それは些細な自然の揺らぎを僕らの感性にさりげなく訴える、洗練された環境技術のようだ。



町屋を改装して宿にしている。小さな中庭を通ってくる外の気配が心地良い。
しかし都市の日常、そして現代的な住空間では、こういった自然に対する気付きが失われてしまっているのは確か。僕らは完全な空調や防音を手にしたのと引き替えに、残念ながら本来持っているべき感性の一部に蓋をしてしまっている。
京都の町屋で、降り始めた雨音と微妙に湿気を帯びた風を、静かな居間で感じながら、そんなことを考えていた。未来の環境に対する地球規模の約束、京都議定書がこの街でむすばれたのは、なんだか必然的だったようにも思えてくる。
鞍馬の山間にある集落、貴船。そこでは川に床を渡し、その上で食事をとる川床料理が有名だ。足下で流れる水流が熱を奪い、涼しげな水音がその効果を高めてくれる。下界は30度を超えているのに、この空間は肌寒いくらいだ。自然の力を素直に利用した、先人達がつくった粋な演出である。ちなみに、現行の法律でこれをやろうとしても無理。融通の利かない建築基準法は、川の上を居室とすることを許さないだろう。町屋を宿にすることも現行法では正確には難しい。あくまで誰かの家に招待される、というかたちを取るか、その町屋を短い期間だけ賃貸する、という方法(解釈)しかない。杓子定規な法律の適用は、こうして日本に蓄積されている空間や文化を奪って行く。それは安全上仕方のないことだと切り替えされるだろうが、やはり寂しいことだ。日本はどんどん息苦しい国になってゆく。


貴船の川床料理の空間。
川のせせらぎの上に床を渡してある。





