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第8回 「金沢R不動産」に見る新たな地方都市へのヒント

2007年6月12日

建築家=馬場 正尊 氏

必然と偶然が重なり誕生した
「金沢R不動産」

「金沢R不動産」が動きだした。

僕が参画している不動産Webサイト「東京R不動産」の地方版として「金沢R不動産」が動きだしている。なぜ石川県の金沢だったのかとよく聞かれるが、それには必然的な理由と、いくつかの偶然の重なりがある。

必然的な要因は、東京R不動産的な視点から見ると、この街はポテンシャルでいっぱいだったこと。金沢には“町屋”という形態の住居がたくさん残っている。町屋(町家)といえば京都が有名だが、加賀百万石の城下町として栄えた金沢にも、町屋がたくさん残っている。茶屋街や武家屋敷の情緒、また市内を流れる犀川、浅野川という二つの川が織りなす風景は京都にも負けていない。それらの魅力を再発見してみたいと思っていた。かねてから「東京R不動産」の“東京”の部分が他の街の名前になっていけばいいと考えていたから、金沢はその第一歩として格好の街だった。これが「金沢R不動産」成立の必然的な理由。残りの要因は偶然。しかし、どちらかというと今から説明する二つの比重が圧倒的に大きい。

まず東京R不動産のメンバーの一人が、中学、高校を金沢で過ごしたこと。そこでは彼の青春の思い出がつくられたが、同時に不動産業にとって不可欠な“土地勘”も養われた。彼は金沢のポテンシャルを日頃から口にし、いつかR不動産をこの街でやってみたいと考えていた。そんな折、僕のサッカー仲間でもある建築家の小津誠一氏(STUDIO KOZ主宰、金沢出身)がこの考えに興味を持った。彼は5年前、金沢市街地のボロボロになっていた廃墟ビル(かつてはキャバレーだったらしい)を大改装し、カフェ、クラブ、オフィスのコンプレックスに変えてしまった。しかもそのカフェの部分は自らオーナーとなり経営まで行う徹底ぶり。金沢でこういった新しい動きを実践しようとするならば、多少リスクを背負ってでも、具体例をつくっていく必要があったのだろう。建築家とは思えない度胸と行動力。現在、そのビルは金沢のちょっとした文化発信の拠点にもなっている。

その小津さんがある日、「“金沢R不動産”のような展開が、考えられないだろうか?」と持ちかけてくれたことが、具体的なスタートだった。彼は日頃から、「金沢にも普通の住空間や生活スタイルに満足していない人々はたくさんいる。しかし、それを具体的に実践しようとしても誰に相談していいかもわからないし、情報チャネルもない」と、問題意識を持っていた。

1年の準備期間を経て、なんとか実現にこぎつけたのが今年の初め。最初は物件を探し出すのも大変。安定して物件を供給できるか不安だった。 金沢の人口は50万人に届かない。1200万人が住む東京とはマーケットの大きさが違うわけで、そのなかで果たしてこれが成立し得るのか、お客さんはいるのかなど不安定要素は尽きなかったが、とにかく強引にスタートさせた。物事の始まりとは、だいたいこんなものだ。「東京R不動産」の時もそうだったように。

金沢R不動産のトップページ

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