7年前の取材で聞いた
「東京」という都市のビジョン
4月8日に投票が行われ、現職・石原慎太郎氏の勝利に終わった東京都知事選。今回、この都知事選の一連の報道を見ていて、自分の中の、ある記憶が蘇ってきた。
20歳代後半から30歳代の前半(1998年から2002年)にかけて、僕は『A』という雑誌の編集長をしていた。『A』とは、「Architecture(建築)」の頭文字、そのほかにも、「Art(アート)」、「Anonymous(都市のなかの不特定な誰か)」などの意味も含んでいた。
「都市生活と建築を結ぶメディアを自分でつくってみたい」という同人誌的な発想からスタートし、インディーズのサブカルチャー・マガジンとしてそれなりの発行部数を数えるまでになった。

雑誌『A』の表紙。1998年から2002年までの4年間、季刊で発行。建築とサブカルチャーの中間に位置するような雑誌だった
当時はただ、がむしゃらに「面白い」と思った出来事を追いかけ、それをそのまま素直に誌面化していたように思う。30歳代も後半になった今、その雑誌を見てみると、不安定な編集や、熱いけれども青臭い文章などが見受けられ、気恥ずかしい。バブルの傷跡が残る都市の中で、「何かをしたいが、なかなか具体的に動き出せない」――そんなジレンマが滲み出たような雑誌だった。
その『A』の、2000年10月号の特集タイトルは「東京計画2000」。
今回の東京都知事選は、7年前につくったその号を思い起こさせた。

「雑誌のカタチをした企画書」のつもりでつくった2000年10月号の『A』。石原都知事には、これを持って「インタビュー」という名目でプレゼンテーションをしに行こうと思っていた。
『A』では、都政に関わる人からアーティストまで、様々な人にインタビューを行った。今回の都知事選に出ていた黒川紀章氏も、その登場人物の一人。実は、当時就任2年目の石原都知事にも取材許可を得ていたのだが、当日に三宅島に噴火の兆候があり、流れてしまったのが今でも悔やまれる。
あの日、僕が石原都知事に聞こうと思っていた事はただ1つ。
「あなたは東京を物語としてとらえていますよね。このリアルな東京にどんなフィクションを見るのですか?」
時に凶暴な物語を描く小説家が知事になった場合、“執行者”として、都市にどのような妄想を描くのか。構想力と狂気は紙一重で、僕はそんな“石原慎太郎の両義性”に興味を惹かれていた。残念ながら結局それは聞けずじまいだったが……。
結局、インタビューには、石原都知事の代わりに当時の副知事・青山やすし氏が答えてくれた。この人は変わったキャリアを持っていて、都庁職員でありながら、郷仙太郎のペンネームで『小説・後藤新平』(学陽書房)という小説を出している。
後藤新平とは、関東大震災の時に東京都知事だった人物で、現在の東京の交通網の基礎をつくった伝説的な政治家。1999年に東京都知事に就任した石原氏は、この後藤新平の研究者にして、おそらく都庁の中では変わり者であったはずの青山氏を副知事に抜擢した。
その青山副知事へのインタビューはやはり面白かった。現在の東京のどこにどういう道路を整備すべきかを説く彼の姿は、後藤新平が乗り移っているかのようだった。今では彼はもう副知事ではないが、圏央道や山手通りの拡幅など、彼のビジョンは少しずつ実現されている。オリンピック誘致が仮にできたとしたら、それは一気に加速するのだろう。行政において、夢はこうして引き継がれていくものなのだ。
一方、同じ7年前に行ったインタビューで、建築家・黒川紀章氏は、彼が40年前に描いたスケッチや言説とほぼ同じことを言っていた。恐ろしいまでの一貫性だと思ったが、これだけ社会状況が変わっても同じイメージの都市像に凝り固まっていることに呆れもした。
東京湾が埋め立てられ、高層建築が建ち、絶え間ない新陳代謝を繰り返す、都市のイメージ――。屈託なく成長モデルを描ける世代である大先輩の建築家は、見方によってはまぶしく、見方によっては時代錯誤に思えた。「東京」という街のとらえ方、黒川氏と僕の世代間のズレや違和感を、当時、インタビューをしながらありありと感じたものだ。そして、今回の都知事選において報道される黒川氏の姿には、7年前の3倍増しの違和感を覚えた。




